猫の地位

私は猫と暮らしている。
もうすぐ三十路を迎える独身女性の家に三毛猫が1匹。

一昔前の犬が主流だった時代を経て、猫は確実に高い地位を確立している。

ヨダレを撒き散らしたり獣臭のする犬とは違って、猫は綺麗好きで上品で、なんだか思慮深いようにも思う。
それにセンスのいい人はたいていが猫派だ。部屋には凝ったインテリアと共に猫がちょこんと座っている。凛とした佇まいで何かを見つめているだけで風情がある存在だ。

猫の繊細で滑らかな毛並みは触れば甘美な時間をもたらしてくれる。桜色のふっくらと丸みを帯びた肉球なんて、見せてくれるだけで充分だ。座っている背中の曲線美などは、いつ見ても惚れ惚れしてうっとりしてしまう。
そんな毛むくじゃらの小さな生き物が、自分の住まいをするりするりと歩いている日常は、幸福だ。



だからなんとしてでも、彼を完全に猫派に引きずり込まないといけないのだ。彼も猫と住むことへの不安が3%くらいはあると言っていた。猫の良さをどんどん提示して今のうちから洗脳していかないと、いつか同棲したときに彼のストレスが増してしまう。そして何より、自分の愛猫が肩身の狭い思いをしないよう努力するのは飼い主の使命だ。

まず、私は猫を飼うことのデメリットについて考えた。デメリットNo.1はなんといっても「抜け毛問題」だろう。猫の集合体の一部としてあんなにふわふわで愛おしかったはずの毛は、皮膚から離れた途端に鬱陶しいものに成り下がってしまう。
もし、お風呂上がりのスキンケアでしっとりした顔にくっつけば痒くなるし、濃い色の服にくっつけばひどく不潔に見える。今の時期は特にコートやセーターに絡みつきやすく、もしその状態で外に出てしまえばきっと「あの忌まわしき猫め…!」と憎しみを抱きかねない。
それを回避するために日頃からブラッシングをしなければならないのだが、これが本当にめんどくさい。猫が逃げたり、抜けた毛が宙を舞うのを防ぐため、お風呂場という密室に閉じ込めておこなうのだが、最近は寒いしまったくやる気が起きない。だが、愛おしき三毛猫を守れる立場にあるのはたった私ひとりだ。頑張らなければ、これは私の課題だ。

抜け毛をなるべく彼の目に触れないよう事前回収作戦に尽力しつつ、「猫がいる暮らし」の豊かさと世間的にも豊かと思われている(なんかおしゃれ)という雰囲気を醸し出さないといけない。それだけを理由に「村上春樹は電気猫の夢を見るか?」という本を購入した。見つけてすぐにオンラインストアで買った。あんなに「村上春樹はなんだかいけ好かないやつだ」と愚痴をこぼしていた手前バツが悪いが、これは印象操作するのに実に手っ取り早い作戦だ。彼の面白い友人に村上春樹を敬愛している人がいるし、彼の中で良い印象があるはずだ。
うちの三毛猫の地位も向上させようという魂胆、まるで「村上春樹の威を借るミケ」だ。


ただ、うちの三毛猫の見てくれはいかにも雑種の猫だ。背中は茶と黒の奇妙な斑模様で、太い尻尾だけを見ればほとんどタヌキだ。右目の下に黒いブチが入っているせいで困り顔みたいに見えるし、おでこにも変な形の黒いブチがある。左耳は避妊手術を受けた証拠として一部分が切り取られてしまっている保護猫施設の出身だし、血統書付きの猫とは程遠い。
私としては、このやや不憫な生い立ちのある無料の猫にシンパシーを感じるが、果たしてセレブリティな家系の彼にとってこの三毛猫は魅力的に見えるのだろうか。
幼少期から犬や猫と共に育った私からすると、動物と触れ合うことなく生きてきた人の気持ちがわからないので、彼の抱く猫への不満に気付けないのではないかと不安だ。

しかし野良時代に強い警戒心を培ってしまった猫の割には、人見知りもせず懐き、良好な関係を築いているように思う。既に膝の上に乗ったり、彼の胸に頬を寄せて寝たりしている。それはまるで「わたしのことも養ってくださいよしなに」と媚を売っているかのようで、本当に賢い猫だと褒めてしまう。私達の明るい未来のために猫ちゃんだって頑張っているんだ。心配や不安が絶えなくてキリがないけど、杞憂となって気を病まぬようにしたい。

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