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うたたね頭痛
年末である。
年末らしい片付けをする。
何か座って淡々とできる作業をした後って、大抵の場合うとうとしてしまう。それでそのまま近くにある毛布を被って眠ってしまう。
ちなみに休日の場合、一度眠ってしまうと全く起きれない。でもこの睡眠はとてつもなく幸せ。ジャンクフードが世界一美味しい理屈とたぶん同じ。
ずっとずっと続いてほしい瞬間って何かしらあると思うけど、正直このうたたねをしているときかもしれない。
何もない日のうたたねはちょっと覚めたところで再度目を閉じて繰り返す。仮眠ならば10〜15分くらいがちょうどいいらしいが、それ以上眠ってしまった自分の脳は、ほとんどの機能がシャットダウンしてしまう。起きた後も、その日が終わるまでずっと接続がうまくいかない感覚。とにかくぼんやりする。
常に過剰に回転している脳を、少し悪趣味な方法で半強制的にボケさせている。なんせ大抵の場合において、起きた後、頭痛がひどい。
それでも、やっぱりうたたねが好き。
夏の終わりは、窓から送られてくる少しだけ温度が低い夕方の風で起きる。冬は、熱源から遠い背中に感じる冷たさで起きる。春は日向ぼっこをしながなら、秋は取り込んだ布団に倒れてうたたねをする。
長いうたたねをしてしまった場合、目が覚めた後も、そのままぼんやりと起きれない時間が続く。しかし何もない日なのだから、どれだけぼんやりしていても誰にも咎められない。休みの日に味わえる贅沢。
とは言え、夕飯の準備などがあるので、買い出しに行こうと起き上がって外に出る。風で乱れた髪の毛を耳の後ろにかけながら、痛みの増した頭をブンブンと振る。視界に何かが映る。
暗い空に、非現実なまでに輝いている大きなまん丸い月。
まだ寝ぼけている眼をパチクリさせ、「月か?」と疑う。大きさと輝きが非現実的すぎて、もしかしてまだ夢の中か?とひとりで面白くなる。
夢と現実について考えはじめると、頭痛に拍車がかかる。夢の存在が現実を確立させ、現実があるから夢を見たと認識できる。しかし、感じている現実が夢である可能性を否定するに足る材料は何もないのである。結局荘周と胡蝶どちらなのか分からないのである。
そういった意味では、うたたねとは実にその境界線を行ったり来たりしている趣きのある行為だと思う。
止そう、頭痛がひどい。
もうこれ以上知って眠らない夜と
2023.12.27 星期三 晴れ時々曇り
(本日の歌:椎名林檎「意識」)