escape
よく映画や小説、漫画などで見かける、学校やら会社に向かう電車で急にその気になり、そのまま終点の海まで行っちゃうような展開。
しかし、現実はそううまくいかないものだった。
電車の辿り着く先は必ずしも海だとは限らないし、君が行きたい海とは限らない。これで如月駅とかなんとかまで連れて行かれた暁にはお終いである。興味がないと言われれば嘘になるが、こういったストーリーの結末は決まって碌なことにならないので行きたくはない。山手線とかだったら一周回って面白い。二重の意味で。
正直、「今日バックれます」というのは、自分には物凄く勇気がいる行動であり、いつも通りの目的地に向かうことのほうがよっぽど楽である。人によるとは思うが、規則通りに生きる方がよっぽど「簡単」。少なくとも今の自分にとっては。
もし知らないところで泊まるとかってなると持ち物は?所持金は?家族にはどう連絡する?どんな顔して戻ればいい?そんなとりあえずやってみてからどうにでもなりそうなことを延々と考え、気づいた時には職場ないし学校についている。
こういう、くだらないうだうだの繰り返しである。
ただ、常々、「逃げたい」と考えがちな節がある。
ひとつの場所での滞在期間がある程度溜まれば、その分「重み」が増す。
たとえばかもめと金魚について描いた物語。時間が経てば経つほど、文字数、ページ数が増えて、本が重くなる。その「重み」を背負って歩くのが嫌になる。繰り返される展開に飽きてくる。そのうち適当な結末を書いたり、締めくくり的なことをする。そんなことできるの?いや、正直うまくいった試しがあまりない。だから「逃げたい」と思う。
時刻表通りに動けば、「明日」はやってくる。「規則通りは簡単」なんて言ったけど、逃げたいって思ってる時点で割り切れてないことが見え見え。
たとえば目についた何かの役割を果たしているネジひとつにさえ嫌気がさす。夜になったら自動でつくライト。雨が降れば落ちる花びら。毎日やってくる新しい毎日。そんなもの欲しいだなんて言った覚えないって?わがまますぎる。仕組みってそういうことなんだよ。歯車が回転を嫌ってどうする。
何もかも綺麗に終止符を打てないのなら、いっそのこと放り投げ出したい。
些か階段を登りすぎてしまったようなんだ。
息も絶え絶え。いのちも枯れ枯れ。
いかなる結末を迎えれば、僕らの歩んできた物語に報いることができるのだろうか。
答えが見つからない今、少しだけ逃げてみた。ほんの少しだけ。
escape日和を選択して、逃避行を敢行した。
安心して。
トンネルを抜けた僕が、また僕として返ってくるから。
・・・
誰の言葉も受け止めなくいい。
受け止めきれなくていい。
誰の色も見なくていい。
透明なままでいい。
ベンチは一つでいい。
誰も隣に座らなくていい。
愛は愛のままでいい。
知らない場所を知らない僕が歩いていた。
何かを置いて来た。
けど何か満たされた。
2024.4.11 星期四 曇り
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