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途方もない話

薬の束を前にして、ただぼんやりとそれらを見つめている。
飲まねばならないのはわかっているが、目の前のそれですらできずにいる。

昼間起きていられなくなったのは、いつからだったか。
職場で起こした上司とのトラブル、加えて会社への不信感が募る日々を送っていたときに感じた、早期覚醒、不眠、過食嘔吐、思考力の低下、不意に出る涙。
それらをどうにかしたくて心療内科に通い始め、医者からは鬱だと診断された。
処方された何種類かの薬は、就寝前に飲むよう指示を受けた。
日中、まだその効果が残っているのか、仕事中人の目を盗んでは居眠りをするようになり、業務に支障が出てしまい、仕事をやめた(自主退職ではあるが、エリア長にも話が行っていたため、概ねクビのようなものだと思っている)。

転職した先は、全く別の業種。
ゼロからのスタートだった。

転職前、自分は仕事ができる人間だと思っていた。実際、就業年数は長い方であったし、周りはみな年上であったので、自分はできる後輩という立ち位置でいられた。

職が変わると、同い年の同期ができた。
同期は空いた時間に独自のマニュアルを自分で作るような、所謂“仕事の出来る人間”だった。
上司から教わることを懸命にメモし、手順を確認しながら必死に仕事をしているにもかかわらず、私は一日に一度は必ずミスをして、飲み込みが遅いために仕事を減らされた。
どうして入念にチェックしているのに間違うのか、わからなかった。
教わったことがなぜできないのか、わからなかった。
自分はもう“仕事の出来る人間”ではないのだと、わかってしまった。

仕事から帰宅すれば何もする気力がなくなり、ノロノロと食事を摂り、そのまま風呂へ行く気も失せて深夜になる事もザラであった。
朝、目を醒ませば体が重く、仕事への恐怖で動けなくなった。

(また、ミスをするかもしれない。)
(今日こそは、ちゃんとしなくては。)
(メモをして、忘れないように。)
(やることをまとめて、リストアップすれば、今度はきっと。)

全て、徒労。
いくら足掻こうと、私は毎日ミスをした。

「……もう、だめかもしれない。」

自転車を漕ぐ気力すら無くした私を近くの駅まで送迎してくれていた母に、帰りの車内ではらはらと涙を流しながらそう告げた(恥ずかしながら、私は実家ぐらしの身である)。
母の、「分かった。大丈夫だよ。」という言葉に、私は涙を止められなかった。
斯くして休職し、そのまま復帰できるはずもなく、退職した。

そうして冒頭、つまりは今に至る。
薬の束を見つめ、漸く必要な数を薬包からパキ、と取り出す。
億劫な作業ではあるが、少し慣れた。

あれから私は、嘗て勤めた先の業種に関わるものを見ることが出来なくなった。
社名はもちろん、それに関わるコンテンツ、扱っていたもの、仕事中使っていたペンや付箋。
目にすればあの負け越しの日々が想起される。

正直なところ、社会復帰ができるとは思っていない。
このまま貯金を切り崩して生活を続けて、無一文になったらどうなるのだろう。このスマホ代すら払えなくなったら、どうしたらいいのだろう。
毎日考えるのは、お金のことばかりだ。
日々お金は減るが、無職に収入などあるわけもなく。
過食するために買い出しに行き、数千円の食べ物を二、三日で胃に詰め込む私が、どうして世間に混じって働けようか。

未だ心療内科に通院し、身体が生きるのに向いていないことに気付いたわたし。
今後の行く先はどこだろうか。

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