エニアグラム5w4だった話とぼっち・ざ・ろっく!観た話と交友関係の話
一気に3つの話をする内容の濃い記事です。
ほぼ日記みたいなものになります~
エニア5w4でトライ592だった話
INFJ-Aの私、エニアグラムとトライタイプの診断をしたところ、それぞれ結果が5w4、592でした。
複数の診断サイトを使用して、4w5とか459とか違うタイプも診断された上で、1番納得できるタイプがこれでした。
エニアグラムはウィングとかも元々知っていたんですが、トライタイプに触れるのは初めてで592がどんなタイプなのか、というかこの数字の順番って何か意味あるの?レベルでなんにも分からなかったので、色んな解説を見漁って参りました。
ウィングに4を持つタイプ5は、「因習を打破する人」らしいです。
タイプ4は自分が周りの人間とは違う人間でありたいと思っているので、自分より才能のある人間に嫉妬することも多いようです。
ここが多分タイプ5との違いかな。
タイプ5は自分が有能な人間でありたいと思うようです。
人から頼られなくなることが怖い、とも思います。
なので知識を蓄えようとします。
が、人にその知識を共有しようとはあまり思いません。
あくまでも自分のために収集します。
また、「そんなに知ってるなら自分もやればよくない?」って他人に言われるのが嫌らしいです。
これはちょっと分かるかも。
インプットとアウトプットの割合が異常なほどインプットに偏っています。
なので、芸術家のタイプ4をウィングに持つ5w4がアウトプットで力を発揮できるようになれば多分最強ということです。
また、タイプ4は不健全時に自分を犠牲にしてまで他者に縋りつこうとすることがありますが、タイプ5は他者に依存されたくないし自分も依存したくない、と思うのも、タイプ4とタイプ5の違いとしてあるようです。
トライタイプ259は「知恵袋」らしいです。
私の基本タイプは5なので、タイプ5の中では割と楽観的で人と接する人らしいです。
でもやっぱり自分から行くんじゃなく待つタイプなのね。
こんなことも書かれていました。
ステレオタイプのタイプ5とはイメージが違うらしいです。
「人のニーズを察することが上手く、人の弱さに対して理解がある」と、INFJっぽいことも書かれています。
また、タイプ5でありながら人と接したく思い、持ち前の察し能力で人と関わっていくことに楽しさを感じるようです。
さっき書いた「アウトプットで力を発揮できるようになれば多分最強」っていうのを割と実現できそうなタイプ5がトライ592、ということでした。
いやあ面白かった。
難しかったですが、この先活かせそうなことも知れてよかったです。
最強になりたいのでアウトプットがんばろうと思えました。
ぼっち・ざ・ろっく! 観ました
基本的に流行に乗るのが何故かワンシーズン遅れる人間で、秋に放送開始されたアニメを年跨いで一気見する、っていう変なことをしました。
興味は前々からあったんですけどなんか乗り遅れるんですよね。
ぼっちざろっく、めっちゃくちゃ面白かったです。
割と結構な頻度で出てくる他作品のパロディに不意打ちでやられて声出して笑ってました。
こんなアニメあっていいのか……と思うほどのぶっ飛び面白要素がまきびしレベルに散らばってました。
あと1番おもしれ~!って思ったのが、キャラ達を定点カメラみたいな視点からちらほら描いてること。
アニメって話すキャラが変わるごとに視点も変わって話してるキャラの表情だけがよく見えるように描かれがちですけど、ぼっちざろっくはキャラ達が並んで話してるところを背後から、顔も見えない視点から描いたりしていて。
その分そのキャラ達の動作とか場の空気とかが表現されていて、新し~!そりゃ人気出るわ~!って思いました。
あとキャラの動きもすっごい自然にヌルヌルで、もうなんかほんとすごかったです。
特に2話が好きです。
パースがすごかった。
ぼっちちゃんが走り出す前の顔の動きがすごかった。
あとぼっちちゃんがギター弾くとき癖で猫背になって髪で表情隠れるのめっちゃかっこよくて好き。
語彙力!
とにかく笑いました。
ぼっちちゃんに触発されてまたギターがんばろうって思いました。
多分リアルタイムでけいおんとかゆるキャンとか見てたら絶対影響受けて色々始めようとしてたタイプだと思うので、ぼっちざろっくだけに留まってよかったです。
まだ観たことない方は、最高にロックなぼっちちゃん達をぜひ観てみてほしいです。
そういえば友達が少ない
これはぼっちちゃんではなく私の話です。
というか友達が少ないだけじゃなくて、よくよく考えてみたら似た者同士しかいないな?ということに気づきました。
類が友を呼んでいます。
前は「似た人間同士じゃないと一緒にいれないから当たり前だろ」ってどこかで思ってましたが、コミュニケーションって案外楽しいです。
今までコミュニケーションの意味を見誤っていたかもしれません。
相手が自分と似ていようが似ていまいが、文面だろうが対面だろうが絵だろうが音だろうが、本質を突っつくような、あるいは心が互いに震えて共鳴するようなコミュニケーションが面白い、ということは変わらないんじゃないかと。
だから「人間関係、ないし自分の世界を広めていきたい」と思っています。
見える景色が広がるというのはなんだか楽しそうではないか。
もしかしたら運命の人との出会い、天職との出会いがあるかもしれない。
中学時代と特に何も変わらない生活を送っているせいで高校生であるという自覚が少ないばかりに、大人が言うには人生で1番青春になりうるというこの時間を家に籠って無為に過ごそうとしている自分にハッと気づきます……
あんまり何を言ってんのか分からないですけど青春って多分大人になってから「あの頃はキラキラしてたなー」って懐かしむものですよね。
果たして自分が大人になったら今の自分を「キラキラしてたなー」って思えるだろうか。
あんま思えない気がします。
楽しいは楽しいけど眩しそうに懐かしむレベルには達していない気がします。
だったら今からキラキラに発光する準備を進めなければ高校なんてきっとあっという間に卒業してしまうはず!
ここで動かなくては!
バイトを始める?
いやでも体力がな……
部活に入る?
部活はもう十分だな……
うーん消極的。
「消極的人間がキラキラになる」なんてそんなことわざみたいなことを……
昔から遠く先の未来を見すぎて、漠然とした計画・目標を立ててしまいがちです。
せっかく2023年の抱負も掲げたことだし、地に足つけてちょっとは現実的に生きたいです。
行動に移すことをためらいがちなので、なる早で行動・アウトプットすることを心がけて。
なる早ってもう死語か?