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日曜は私に嘘を運ぶ.3 〜疑念〜
前回。
突然私の前から姿を消した青年。数週間という長い時間が過ぎた頃、土曜日に夫と久しぶりにデートに行き、そこで結婚したての頃の感情が徐々に再び芽生え始めていた。もう会えないのならばこのまま青年のことは忘れて夫との変わらない日々をまた送るのも悪くないと思い始めていた時だった。私は偶然にも青年と再会し、会えなかった理由を知る。青年と再会したことで取り戻しつつあった夫への感情は上書きされ、次の日の日曜。抑えていた感情や欲求が爆発し、夫婦が住む家にはただ感情のまま互いの身体を貪る男女がまぐわう姿があった。
しかし、2人だけの秘密だと信じていた世界に1人仲間はずれにされた男は、生々しいその声を静かに聴いて笑みを溢すのだった。
青年と私が再会を果たしてから数回目の日曜日。私はいつものようにGo eatで商品を注文し、それを青年が持ってきてくれるのをコーヒーを淹れながら待っていた。淹れたてのコーヒーをカップに移し、水仕事で冷たくなってしまった手を暖めてからコーヒーを口に運ぶ。口からゆっくりと流れる熱さを感じてホッと一息つく。朝起きて旦那を見送って、そこから家中の家事をこなす。今までとなんら変わらない主婦としての仕事だが、日曜だけは毎回気合の入り方が違う。週の終わりというのもあるが彼と出会ってからは日曜が私にとって特別な一日となった影響もある。せめて好きな人と愛し合う時ぐらいは部屋を綺麗にしておきたい。結婚生活を送ってきて忘れていた自分が一人の女である自覚を彼の手によって呼び覚まされている気がしていた。結婚をした女はその忙しさから自分が女である自覚が徐々に薄れていくなんてことをテレビ見たことがあった。おそらく彼と出会って無かったら私はそうなっていたかもしれないと思うと、昔は気にしなかっただろうが今となっては恐ろしい。想像で内側から冷えた身体を熱いコーヒーで温める。
心が冷えたせいか急に人肌の温もりが欲しくなり、身体の疼きからソワソワが止まらなくなる。時計ではもう到着してもいい頃。恋しさと疼きから自らを慰めようとする手を必死に堪えて彼を待つ。
そしてさらに待つこと5分。。。
玄関の扉を警戒なリズムで叩く音が静かな部屋に響く。体の奥から来る疼きに抵抗していたせいで乱れてしまった服を慌てて直して小走りで玄関に向かい扉を開けた。
するとそこには仕事に向かったはずの夫が立っていた。
「え、なんでいるの、、、?会社は?」そう聞かれると、夫は何故か私に笑顔で微笑みかけて質問に答えないままバックを私に預けて部屋に入っていった。
「ねぇ!答えてよ!会社はどうしたの?」
「え、ああ。商談が思った以上にスムーズに済んで、後輩があとは自分がやっとくって言ってくれて、それで直帰したんだ。」夫の突然の帰宅という状況を飲み込めず自然と大きな声が出てしまった。
久しぶりに怒りの感情を露わにした私は出した自分の声に驚き咄嗟に口を塞ぎ、「ごめん、、、、。」と一言謝った。
「こっちこそごめん。一言連絡入れればよかった。困惑させてごめんな?」ジャケットを脱いだ夫は私の肩に手を置き、申し訳なさそうな表情で同じように謝った。謝罪と事情になんとなく納得した私は、落ち着くためにデーブルに置いていたコーヒーを身体に流し込む。そしてため息にも似た深呼吸を一つ吐き、カップを流し台に戻し無言のまま洗い物をした。その様子を察した夫はジャケットを自分でハンガーに掛け、静かにソファに腰を下ろした。
コンコンコンッ。すると突然玄関から扉を叩く音が水の流れる音とともにこだまする。
頭によぎる嫌な予感。忘れていた本来の予定。焦ってしまったが為に存在が意識から外れてしまった彼のことを、、、。
「誰だろ?僕が出てくるよ。」私が焦って手を拭くのを待たずに、夫が玄関の扉を開いた。そしてそこに立っていたのは、今では悪い意味で予定通りGo eatのリュックを背負った彼の姿だった。
「お待たせ、、、しました、、、。」
「あれ?君は確かこの前、、、。」
最悪の状況の中、ここで出会って欲しくない2人が再び出会ってしまった。
キョトンとした顔でお互いを見つめる夫と彼。彼は予定通り私と会う為にGo eatを名目にやってきた彼と、本来まだ会社にいるはずが、商談が上手くいったと言って早く直帰してきた夫。この残酷な予定のすれ違いが、私にとって最悪の状況をもたらしてしまった。夫のことで頭がパンクしていたせいで、彼のことを忘れていた。
お互いに表情を窺うように見つめ合う2人は数秒沈黙を貫くと、夫が先手を切って彼に話しかけた。
「確かこの前、妻のことを助けてくれた青年、、、だよな?なんで君がここに?」
「あ、、、えーっと。」一瞬言葉に詰まる青年に、私は夫の背後からジェスチャーで話を合わせてと合図を送る。するとさすが大学生。私の焦っている表情と雰囲気でそれを察し、無邪気な笑顔を夫に向けた。
「あの、注文されていた商品を届けに来たんです。ほら、このバック見覚えありますよね?」そういうと背負っていたバックから、すっかり行きつけになったインドカレー屋のカレーを取り出し夫に手渡した。まさか注文したものがカレーだとは思ってもいなかったのか少し戸惑った様子で受け取った。夫は振り返ると私の顔を見て、目で「買ったの?」と訴えてくる。私は苦笑いと頷きで答えると夫は納得の表情で青年の方に向き変えた。
「そういうことだったんだね。急に君が家にやってくるから、てっきり、、、。」
「てっきり?」
「僕がいない間に会う為にきたのかと。」刹那、一瞬場の空気が真冬の雪山の如く凍りつき、肌に針を刺されれような緊張感の風が吹き去った。とはいえ、人間の思考回路とは非常時ほど働くようで、ここで焦って否定すると、余計に怪しまれるのは必至なのは容易に察知できた。
2人の後ろで空気感をヒシヒシと感じながら彼の様子を見守ることしかできない。
だが、そんな心配もいらないほどに青年の表情には焦りや不安の要素はない。
「あ、なんか心配をかけてしまったなら謝ります。けど、今はこうしてバイト中なんで、、、。むしろこんな綺麗な奥さん捕まえた旦那さんが羨ましいですよ。」戸惑いと謙遜を交えた表情と話し方は演技感もなく自然なものに当事者である私自身思わず納得してしまいそうなほど自然で流石としか言いようがない。
「そうですよね。そんな昼ドラみたいなことあるわけないですよね。すいませんでした。」夫もその本当のような嘘に呑まれてしまい、疑いから安心の表情に変わり、彼に一言を謝りを入れた。
カレーセットを受け渡すと、彼は夫と私に軽い会釈して帰っていった。カレーをリビングに持っていく夫を横目に、去っていく彼の後ろ姿を見送る。会うのはまた1週間後。その事実が私にとっては耐えがたい現実なのだ。全ては夫が早く帰ってきてしまったことが原因。身体の疼きと心のモヤモヤが混ざり合い気持ち悪い。リビングに戻ると、夫がカレーのラッピングを開けて食べたそうな顔でその香りを嗅いでいた。
「食べるなら食べようよ。」
「私はいいや。コーヒー飲んだし、あなた食べていいよ。お腹減ってるでしょ?」
「いいの?じゃあ食べよっ!」スプーンを取り出し、何日も食べていなかったと言わんばかりにカレーを頬張る夫に笑顔で残ったコーヒーを差し出す私。だがこの笑顔の裏は夫への嫌悪感など負の感情が入り混じる複雑な笑顔だった。
また1週間が経った午前5時の日曜日。早朝から目が覚めてしまった。眠っている時の夢で彼が出てきた。夢の中で2人は愛し合い、夢ということも忘れるほどに濃密な時間を過ごし、身体の奥に熱いものが流れ欲が果てた瞬間に目が覚めた。無意識の中、その感情の昂りのせいか私はじっとりと汗を掻き、奥は濡れていた。乱れた呼吸を深呼吸をして落ち着かせて、隣で寝ている夫を起こさないようにそっとベットから洗面所に向かう。時計を見ると時間は夫が出社する2時間ほど前。濡れてしまった衣服をそのまま洗濯機に放り込み、ベランダから登りかけの朝日を眺めていた。早起きなスズメが可愛らしい囀りを上げながら飛び交う姿を見て、ふと夢で見た彼のことを思い出す。夢の中の彼は積極的でもったいないぐらい刺激的な触れ合いは、きっと私の欲望の表れなのだと思った。奥底に宿る痺れるような欲を満たしたいと疼く熱。考えれば考えるほどその熱さは増していき、自分でも抑えられなくなる。最近は彼のことを考えるだけで胸が熱くなる。手が勝手に動く。はしたないことだと分かっていても、それに抗える力は私にはなかった。これを抑えられるのは私でも、夫でもない。彼しかいないのだ。最初はちょっとした気の迷いだったはずなのに、肌が触れる度に感じる痺れる感覚が私に教えてくれる。私の身体は、心は、彼を求めているのだと。
頬を撫でる風の冷たさに驚き部屋に戻ろうとした時だった。ポケットに入れていた携帯が突然その小さな箱を震わせた。画面を見ると、知らない番号からの着信で怪しい勧誘かと警戒しつつも、恐る恐る通話ボタンを押した。
「はい、、、。もしもし、、、?」
「あ、よかった!出てくれた、、、!」発せられたその声はなんと彼のものだった。思いもよらない突然の出来事に私は思わず携帯を落としそうになる。携帯を再び耳に当て、噛み締めるように電話口から聞こえる彼の声を改めて聞く。
「ど、どうしたの?こんな朝早くに。」
「下見てください、下。エントランスに入る道のところ。」そう言われ、ベランダからその道を見下ろした。すると、携帯を耳に当てながら私の部屋の方角を見つめる彼の姿があった。その姿を見た途端、私は居ても立っても居られなくなり、家を飛び出した。エレベーターに飛び込み、一階へ。走って自動ドアを抜け、彼の立ち姿を見つけると、人の目があるかもしれないという不安も考えず飛び込むように強く抱きしめた。
「また、こうしたかった、、、。」再び2人で肌を触れ合う事が出来た喜びと胸の昂りで、目には薄らと涙が滲んでいた。
「僕もです、、、。」手に落ちる熱い雫に青年の抱き締める力も強くなる。顔を見合わせ、ゆっくりと唇が近づき一つに重なる。柔らかな感触は心を一気に燃やし、より熱狂的に溢れ出す欲求を掻き立てる。それは2人の愛を確かめるようで、誰にもこの人を渡したくないというような気持ちの表れだったのかもしれない。マンション前の誰に見られるかもわからないこの環境、朝日がオレンジ色で街を照らす中、2人を包む空間は薄暗さで完全に別離していた。
誰かに見られるなんて関係ない。今ただこの時間が永遠に続けばいいと、淡い願いを朝日に願うばかりだった、、、、。
楽しい時間があっという間に過ぎるように、2人の時間も2時間会っていたはずが、心では数十分ほどしか経っていないようにも感じた。初めて外で愛を育み、羞恥心と背徳感に快楽を味わい、かつてない感情の昂りを経験した。駐輪場裏の木陰で時折察する人の気配を感じながら、内と外で感じる彼の熱さに酔いしれ、本能に従いその熱さをさらに求めた。
2時間が過ぎ、火照る身体に後から走る悦の電気に耐えながら隠れるように彼を見送った。去っていく後ろ姿は同じのはずなのに、愛しあえるとこうも心が感じる寂しさは違うのかと自分でも驚いていた。携帯を見ると午前7時を回っていた。そろそろ夫が起きてくる時間だ。私は急いでエレベーターに乗り込み部屋へと戻った。扉を開ける音にも気を遣い、ゆっくりと閉める。だが、入った瞬間違和感を覚えた。リビングの電気が付いている。起きて付けた記憶もなければ夜の消し忘れのはずもない。脳裏に嫌な予感が過り、そしてその予感は的中した。リビングの扉を開けると、携帯片手にソファに深々と座る夫の姿があった。
「あ、おはよう。」
起き抜けの眠たそうな表情でそういう夫に少し緊張しつつも、半ば安心した。
「お、、おはよう、、、。早いのね。」
「うん。なんか目が覚めちゃってね。どこ行ってたの?。」
「う、、、うん。私もなんか、目が覚めちゃって朝の、散歩?みたいな、、、。」
「そっか。」
たわいもない会話のようで、日曜の朝から流れるには空気は重たい。夫はニヤニヤと嫌な笑顔で携帯を見つめる姿に不信感を抱きながら、私は朝ごはんを作るためにキッチンに立つ。すると急に夫は立ち上がり、「ねぇ。」と一言。
「なに?どうしたの?」
「あんな朝から、誰と会ってたの?」
振り返り、キッチンに立つ私にそういう夫の顔は、頬んでいるようで、その目は怖いくらいに私だけを一点に見つめていた。