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日曜は私に嘘を運ぶ.1 〜出会い〜


最近、よく街で見かける料理を宅配してくれるサービス。一般の人がお店から料理を受け取り、それを注文したお客の元まで届けることで報酬を得られるというもの。話には聞いたことはあったが、実際にそれを利用したことはなく、ニュースでもマナーが悪いなどで良い印象がなく自分とは無縁の存在だと思いながら過ごしていた。

だが、日曜のある日のこと。自宅が丘の上にあるマンションで移動自体も坂が多くかなり面倒。それにその日は不幸なことに冷蔵庫に何も入ってないという主婦としてあるまじ失態を犯していた。

さて、どうしたものか、、、。冷蔵庫と無駄なにらめっこを交わしている最中、ふと付けていたテレビCMでそれの広告が流れた。これだ!
夫は基本的に平日が休みで、日曜の今日は会社で仕事をしている。それに加えて朝からメールで泊まり込みで片付けないといけない仕事があるとの一報。夕食を作らないでいいという気楽さと心に芽生えてしまった一日だけの自堕落をしてもいいという甘い考えが合わさって、私は誘惑に負けて今まで敬遠していた宅配サービスを利用してみることにした。
アプリを登録し、早速お店の厳選を始める。夕食も兼ねての食事のため、たまにはいつも食べないようなものを食べてみたい。そんな思いも相まってか私は以前から食べたいと思っていたインドカレーのお店を選んだ。実際、カレーなんてという人もいるだろうが一度はお店の、しかも本場のやつを食べてみたい。そうと決まればと決断したあとの行動は早かった。出前の電話かけると、カタコトの日本語を話す男の人の声。異国料理の従業員は外国の人が多く特にインド料理のお店はその傾向が顕著に現れているイメージがある。私は公式のサイトでメニューを確認しながら「本日のカレーランチセット」を注文した。もちろんつけ合わせはナンとココナッツジュース。辛さは試しの中辛で。電話越しに聞こえる独特なインド洋楽を背景に注文をカタコトの日本語で繰り返す。「デワ、マッテテクダサイね〜」と陽気に挨拶を貰うと電話は切れた。




初めての経験。たかが料理の宅配サービスを受けるだけでも私の心は少しソワソワしていた。
アプリでは今宅配員がどこを移動しているのかがマップ上で追いかけることができる。移動手段は自転車が一般的らしいが、この辺を自転車で移動するのはなかなかの体力がいる。坂が多く、傾斜も自転車で登るには少し辛い。わざわざこんなところまで持ってきてくれる人がいるのだと思うと感謝しか浮かばない。私はお礼に何が飲み物でも用意しておこうとポットの電源を入れた。

20分ぐらいが経った頃か。空の色が青から徐々に鼠色に侵食されていく中、この部屋に向けてエントランスからインターホンが鳴らされた。
「お待たせしました!GO eatです。注文の品をお届けに参りました!」スピーカーから響くのは若い男の子の声。元気よく挨拶する声の背後には荒い息遣いが後を引く。ここまで坂を登ってきたんだ。相当疲れただろう。私は返事をし快く扉を開けた。
3分ほど待ち、自宅の玄関をノックする音に飛びつく。開けると、帽子に大きめのパーカー、黒のジャージっぽいパンツ、白いスニーカー。背中にはテレビでお馴染みのリュックサックを背負っている好青年。。額に薄らと光る汗にドキッとしながらも、私は料理を受け取った。
受け取ったカレーはまだ温かくかなり急いでやってきたことがわかる。

「ありがとうございます。」

「では、、、。」そう言って玄関を閉じようとする青年を呼び止めようとした時だった。
突然怒号のように鳴り響く雷の音。それを合図に大粒の雨が街を包んだ。青年は空の様子をチラリと見つめると静かにため息をついた。

「当分、、、止みそうにないですね」

「ですね、、、。どうしよう。」雨を前にたわいもないやり取りをしていると、リビングにセットしておいたポットがカチッという軽快なスイッチ音を鳴らす。
ハッとしたようにポットの存在を思い出した私は、困り果てる青年に提案した。


「雨が止むまで、中で休憩していきませんか?」





突然の雨と雷が降り注ぐ昼下がり。嵐の中にも静かで落ち着きのある空間。それでいてどこか妖しく緊張を走らせる雰囲気。カップに注がれた熱々のコーヒーを片手に青年の前には、薬指に指輪を着けた女性が1人。同じようにコーヒーを熱そうに飲んでいる。この女性が人妻であることは視覚から得られる情報で容易にわかることだが、今初めて会った男を部屋に入れるだろうか?雨というハプニングが起こり、ご厚意に甘えて思わず足を踏み入れてしまったが、この状況は客観的に見れば、大人の危なさを孕んでいる気がする。旦那さんがいるのでは?そう聞くのは簡単だが、それを聞いて仕舞えばそれこそ火の中に飛び込む虫と一緒。自ら危ない橋を渡ることになる。移動手段を断つこの雨が早く止むことを願うばかりだった。

「、、、コーヒー、苦手でした?」2人の間に流れる静寂を最初に破ったのは私だった。いつも来客用に出している少し高めのコーヒー。弱冠20歳といったところの若い子には口に合わなかったのかと顔を少し覗き込むように聞いた。急に距離を詰めてくる女性の顔に驚きを隠せなかったのか、青年は動揺し、手から熱いコーヒーの入ったカップを自分の太ももめがけ落としてしまった。
「あっっつ!!!」ジャージ素材の黒色のパンツに薄らと茶色いコーヒーが滲んでいくのがわかる。熱されたコーヒーはその熱さと共に広がり、せいねんの肌を刺激し続ける。私はその様子に急いでタオルを洗面所から持ち出し、濡れた箇所を拭く。だが、熱さとシミはタオルでは取れず、青年の素材越しに露になった肌を攻撃する。そこで私は咄嗟に青年に言い放った。
「ごめん、今すぐそれ脱いで!!火傷したら大変だから!」そう言って私は青年のパンツを無理やり脱がせようとした。だが、青年の手は強く抵抗の姿勢を見せてくる。ふと顔の方を見上げてみると、顔を真っ赤にして視線を逸らす愛らしい姿があった。そこで私は自分が今している行動の重大さに気がついた。自分より若い男の子のパンツを無理やり脱がせようとしている光景はまさに痴女の様そのものだ。
パンツの腰から手を離し、手を膝に固まってしまう。
「すいません、、、。ご厚意はありがたいんですが、自分でやります、、、。」恥ずかしがりながらもそういう青年は私に洗面所のある方向に逃げるように走っていた。私は逃げるように姿を洗面所に隠した青年に対し、「ここまで宅配してくれたお詫びにそれ洗濯するから。」と一言だけ言い放ち、床に広がったコーヒーと割れたカップの破片を片付けていた。
新聞紙に破片を集め、布巾でコーヒーを拭き取る。幸いなことにリビングの床はフローリング素材で、さっと拭き取れば汚れは落ちるが今私の心にある邪な感情は拭えない。
「さっきのあの子の顔、、、。」身体に走る電気に打たれたようなゾクゾク感。心を刺激する久しぶりの昂揚感。結婚生活を送っていつの間にか忘れていた。女としての疼き。私は青年の恥ずかしそうな顔を見て、ある意味でおかしくなっていた。
結婚。それは男女が愛し合う形を視覚的に一番に表すいわば象徴。左手の薬指に嵌められた指輪は夫婦としての契りを意味し、お互いを信頼している証。だが時に夫婦の間にはその契りを破ってしまう心の悪魔が存在する。それは夫婦だけではない。愛を育む者たちの中に少なからず存在し、今か今かと身を潜め、隙が生まれたその瞬間人間の中に眠る罪悪感を、してはいけない事をする背徳感と昂揚感で支配する。支配されてしまったら最後。ブレーキとして引いていた心の境界線を越える力を生み出してしまう。
現に今、この女の中に目覚めたこの感情もその悪魔にされつつある。

耳元に聞こえるシャワーの音。自ら差し出したあの場所に知り合ったばかりの男が生まれたての人間そのものの姿をしてシャワーを浴びている。

私は思わず唾を飲んだ。してはいけない事。そんなのはわかっていた。しかし今この家にいるのは私と青年だけ。止めるものは誰もいない。あるのは目の前のこの扉だけ。鍵を開けてしまえばもう引き返せない。
私は私の中に雫が堕ちるのを感じた。

(あっ、、、)無意識の中に開かれた扉へ、私は立ち込める白い湯気に導かれるように足を進める。シャワーの音はすりガラスに隔たれた小さなリズムから、外の雨音さえも忘れされる程の魅惑のリズムを奏でている。
自分が抑えられなくなる、、、。こんな経験初めてだった、、、。
怖い、、、。これ以上先に行ってしまっては戻れない、、、。そんな不安を思う心とは裏腹に手は既に風呂場の扉を開けようとしている。心では不安がっていても、身体は主に欲望に忠実である。火照る身体は更なる熱を求めて自ら飛び込んで行った。


目の前に佇む裸の青年。お湯で濡れた身体は妙に甘美な香りを醸し出し、私の中心にある疼きに追い討ちをかける。

「ちょっと、奥さん、、、!なんで入ってきてるんですか、、、!!!」

「、、、ごめんなさい、、、、。でも、自分でもどうして良いかわからないの、、、。悪いことだってわかってるのに、何故か、、、何故か急に、身体の疼きが止まらないの、、、!」

「でも、、、ダメ、、ですよ、、、。そんな、さっき会ったばっかで、しかも俺は料理を届けにきただけの男ですし、、、。」

「、、、だから、なに、、、?私の感情に、そして今からあなたとしたいと思ってることに、時間とか理由って必要なの、、、?」青年を前に儚げな表情でそういう女に思わずドキっとさせられる。シャワーを浴びて喉も渇いているはずなのに、口の中に溜まった唾を喉を鳴らして飲み込む。その音に気づいたのか、目の前の女は人妻ということを忘れてしまう女性的で女豹のような表情で笑みを浮かべた。
次第に身体は制御が利かなくなり、手は自然と女の腰に回している。それに呼応する様に顔も近くなり、二人は何かに取り憑かれたようにお互いの唇と心に孕みに宿ってしまった欲望を貪りあった。
吐息が混ざり合い、触れる口、密着する身体は相手を食い尽くさんと激しく絡み、まるで二種類のアイスが熱で溶けて一緒になるように、この先に待っているであろう後悔や恐れを忘れて、ただ一心不乱に己から溶け出した熱いそれを混ぜ合わせる。





シャワー音と二人の声が響く中、その雨はすっかり止んでいた。








降り続いた雨は止み、空には鼠色の雲の隙間からオレンジ色の光の筋が神々しいぐらいに差しこんでいた。
すっかり乾いた服を身に纏い、隣に横たわる私は愛らしくそれを見つめていた。


超えてしまった。超えてはならない境界線を。
ただ一時の欲望。それも一瞬芽生えたその欲に心を支配されて無我夢中に満たしてくれる存在を求めた。
私の身体に残る熱と背徳感のある温もりの余韻。
中に巡るそれを感じながら、満たされた快感を噛み締める。
「雨も止んだんで、俺行きますね、、、。」ここへ来た時と同じ服装に戻り、背負ってきたリュックサックに背中を預けると青年はそういった。
玄関まで生まれたままの身体にローブを纏い、帰りを見送る。
「ごめんなさいね、、、、私、、、。」
「それ以上言ったらダメです。それ以上言われたら、僕は、、、。」何かを言いかけた口を固く閉ざし、青年は帽子を被り直すと「では、また。」と一言だけ残して走り去って行った。その背中をじっと見つめ、自分の犯した過ちを目と心に焼き付ける。心がキュっと苦しくなる。だがこれは決して悪い苦しみではない。身体の中で段々と大きくなる欲に身体が満たされていく苦しみ。
「また、、、か、、、。」





次の日の朝。夫は疲れた様子で帰ってきた。帰ってくるなり煩わしそうにスーツを脱ぎ去り、風呂場へと向かった。

「誰かきたの?コーヒーいつもより作ってるみたいだけど。」
キッチンを通った時、ポットに入ったコーヒーを見て、不思議そうに言った。

「ううん。飲みたくなって淹れたら思いの外多くなっちゃって。」

「そっか。」乾いた返事を返すと、夫は風呂場の中に消えていった。妻が見ず知らずの男と愛を交わした場所とも知らず、その空気を吸い疲れと汚れを洗い流す。1日ぶりのシャワーを気持ちよさそうに鼻歌混じりに浴びる夫。
私はその日結婚して初めて、夫に嘘をついた。
ついてはいけない裏切りの嘘に、私の顔は無意識に緩んでいた。
「また、、、会いたいな、、、。」
日曜日は狂おしく愛おしい。けど、罪深いほどに嘘つきだ。



                  続く。






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