学歴社会について
世間では学歴社会の批判が強まっていますね
しかし多くの人は難関大を受験したことがないと思うし実際の学歴ってどれだけ評価されているのかもあやふやでしょう。
実際、多くの人は自分の体験したことのないことを乗り越えた人たちを批判しているのです。
つまり東大などに受かる難易度を全く分かっていないのです。
それはともかく、学歴社会と実力社会の違いをはっきり言えますか?
学歴社会よりいい社会は存在するのか
そもそも学歴社会じゃないならどんな社会を望んでいるのでしょうか?
実力社会?そもそも実力社会ってありえるんですか?日本が大好きな欧米諸国は日本以上に学歴社会です。日本における東大のインパクト以上に向こうではハーバードやケンブリッジ、スタンフォードのインパクトが大きいです。そしてそうした大学に入るには筆記の入試は必要ありません。アメリカの大学の入試の問題難易度自体は東大と比べると圧倒的に簡単で、正直比べ物になりません。彼らはいわゆる「人間力(?)」を見ているらしいですが、実際の入学者を見ればわかりますが全て金持ちです。つまり建前は人間力のある人をとるなどと言っていますが実際は寄付金をたくさん出した金持ちが受かるのです。つまり日本人の言う「実力社会」からは程遠いのが現状です。まあ金持ちのほうが留学やらいろんな社会活動に参加できるのである意味学力よりもそういった肩書は簡単に手に入るでしょう。一方途上国はどうでしょう。確かに学歴社会ではないかもしれません、そもそも教育が行き渡っていないので。しかし実力社会では当然なく、学歴社会よりもひどい身分社会です。金持ちの子は学歴すらいらない。そんな場所です。こうしてみると日本は世界トップレベルで庶民にやさしい国なんです。
そもそも実力社会って実現できるのか?ただの夢物語なのでは?
そもそも世界中で200カ国近くありますが「実力社会」を実現している国はあるでしょうか?少なくとも自分は知らないですね。世界中でこんなにもたくさんの国があって実力社会がこんなにももてはやされている21世紀に入ってから早20年。いまだに誰一人実力社会を実現した政治家はいません。つまりもともとありえないことなのです。それには理由があります。
まず、実力って何の実力ですか?日本人は抽象的な概念が大好きです。なぜならこういった抽象的な概念は多くの考えを含み、多数の盲目な追従者を獲得できるからです。実際によく考えてみればわかりますが「実力」というのは常に「~の実力」といった形で使われます。「営業の実力」「恋愛の実力」「サッカーの実力」「掃除の実力」「ケンカの実力」「盗みの実力」など数え上げればきりがありません。
ではどの実力を採用するのですか?それも義務教育9年間で学ぶ内容にふさわしいものでなければなりません。もし義務教育自体いらないなんて考えがいたらそれはもう絶句です。おそらく日本の未来は暗いでしょうし、格差もどんどん広がるでしょう。つまり義務教育があるなら絶対「何か」の実力をつけさせる必要があります。それも9年間ですべての学生に。そんなときに「営業」「恋愛」「サッカー」といったものがふさわしくないのは一目瞭然でしょう。確かにこれらの実力を身につければ食っていけますし幸せな人生を送ることができるでしょう。しかしそれは「国民全員に必要な実力」ですか?
そして就職には実力を測るものが必要です。どの企業も業務内容が異なります。造船会社は建築、設計の実力、通訳は英語、メーカーは工学、営業、銀行は金融の実力を求めています。そしてこういったいろんな需要がある中でそれらを普遍的に測れる実力というのは「学ぶ実力」以外にはないのです。「学ぶ実力」が最も普遍的に価値のある実力です。「学ぶ実力」がある人はほかの実力も付きやすいのです。
そしてこの「学ぶ」というのは「自分の好きな、楽しいことを学ぶ」ことではありません。「つまらないけど大事なこと」を学ぶことです。楽しいことを学ぶのは簡単で誰でもできます。そんな力じゃ差別化はできません。「数学」「国語」といった多くの人が興味を感じないものをしっかり学べるかが大事なのです。勉強が大事なことは学校の先生や親から何度も小さいころから聞かされたと思います。それでも勉強をしようとしなかった子は本能的にそういった意識が足りていないんです。これから社会に出て必要なスキルはほとんどが自分の好きではないことだと思います。そういったものを前に挑戦できる人なのか、それともさぼってしまう人なのか。その違いが学歴に顕著に表れるのです。そして東大や京大に入る場合は高3からの勉強じゃ受かる確率は格段に下がります。ほとんどの受験生は高校に入ってからなんとなく東大京大を意識し高2時点ですでに準備を始めています。つまり「計画性」があるのです。だらだら過ごしてそれなりの時期に周りに合わせて勉強している人とは一線を画します。
難関大に入るにはお金は必要か?~年収120万以下からの現役東大合格~
まず世間では「東大生の親の平均年収は高い」と言われていますしそれは事実です。しかしそれはお金があるから東大に入れたわけではありません。違いは「親の意識」です。東大生の親は小さいころから子供に勉強をさせます。結果として塾に入る子が多いのですが塾に入らなくてもいいのです。市販の計算ドリルを小1から毎日やらせて小6までに中学の参考書をやらせれば得るものは塾よりも多いでしょう。つまり多くの人は「子供に勉強させる」=「塾に入れる」=「金持ちじゃないとだめ」と勘違いしているのです。実際は年収の高い親は子供に早いうちから勉強させることが直接的な原因で、塾に入ったというのは結果論で、塾に入らなくても早いうちから勉強させることを徹底すれば東大なんて誰でも入れます。もちろん勉強の監視は親がしっかり行うべきで、勉強をやりたいという意欲も子供になくてはなりません。実際そういう勉強の意欲がない生徒はたとえ親が塾に入れてもしっかり勉強せず東大なんて受からないでしょう。つまり東大に受かるのに必要なのは「親の意識」×「子供の意識」であり、「親の年収」×「子供の意識」ではないのです。親の年収と親の意識に相関関係があるから間違いやすいのですがこれは学術的に分析する際に注意されるよくある勘違いです。
まあこういったことに気づかない親は初めから子供の教育なんてあきらめているので難関大に受からないのは当たり前でしょう。貧困家庭の親で子供の教育を小学校のころからしっかり行ってきた家庭はありますか?別に塾に行かなくてもいいんですよ。小学生の数学や国語なんて塾で教えてもらうほどのものではないのは明らかです。そういった勉強ができない子は根本的に学習意欲がないだけなのです。
高校に入ったら勉強も難しくなるしさすがに塾が必要なんじゃない?と思う人もいるでしょう。私がはっきり否定しましょう。私は小学校のころから貧困家庭で詳しい家庭事情は話しませんが世帯年収は120万程度でおやつを買うのさえ躊躇する生活レベルでした。塾は当然いけませんでした。ずっと公立です。その後現役で東大に受かるまで一度だけ塾に行ったことがあります。中3の夏に1か月だけです。そしてすぐやめました。行って感じたことは「塾というのはただ自分を安心させる場所。勉強する上では全くいらない。こんなくだらないところで親のお金を無駄にしたくない。」ということでした。もちろん私の言った塾はかなり有名でその塾の中でも難関高校を受けるクラスに所属しました。正直問題は市販の参考書に載っているような問題を解説するだけで、自分で参考書の解説を見たほうが圧倒的に効率がいいと感じました。難関高校クラスでもこの程度のクオリティなんですからその下のクラスの授業はもっとひどいことでしょう。そして高校に入ってからは塾に一切入りませんでした。無料の体験入学の誘いもすべて断りました。周りの塾へ通っている生徒を見ているので塾でやることの内容はわかっています。はっきり言って私の中3の時の塾と同じことをやっています。河〇も〇台も同じです。
よく考えてみてください。東進のような映像授業が通用する時代になったのです。勉強関連の動画はyoutubeにあふれかえっていてそれらの中には質が高いものもたくさんあり、塾へ何十万も払っていく必要はないのです。それに市販の参考書も塾の先生や教授が書いたもので、参考書さえあれば塾なんて全くいらないのです。私の周りの塾通いの生徒はみんな塾を自習室扱いしていましたし、私も塾なんて所詮自習室程度の役割しかないと思います。勉強でわからないことは学校の先生やネットでも質問できる。受験のノウハウなんてネットであふれかえり、良い参考書は多くの口コミを参考にでき、自然とどれを使うべきかも絞れる。こんな最高な時代なのにまだ塾を盲目的に信仰している人たちがいるのに驚きです。塾を買いかぶりすぎです。塾の先生が教えられることは基本参考書にも載っていて、市販の参考書やネットにない東大受験のマル秘情報なんて役に立ちません。役に立つものは自然と巷に漏れますから。
実際私は受験にかけた費用のうち半分近くが「受験料」です。東大とセンター&東大模試4回の受験料ですね。それ以外の参考書代は微々たるもので、中古で買えば1冊400円程度です。100冊買っても4万です。私立は併願しませんでした。東大合格は点数的にかなり余裕を持って合格しました(合格者平均点をかなり上回りました)。科類は身バレを防ぐため言いませんが理1、文1、文2のどれかとだけ言っておきます。東大卒なのか何年生なのかも想像に任せます。
塾なしで東大に受かるには地頭が必要か→全然必要ない
自分のことなので自分でわかります、私は全く自分が地頭がいいとは思いません。せいぜい「要領がいい」程度でしょう。つまり受験勉強においてどれが無駄な知識でどれがよく出題される知識かを選別で来て合格への最短経路を探せる程度です。そんな能力は誰にでもあります、人間は楽する生き物ですから。日常のことに関してはほかの人よりバカだと感じることが多々あります。世間知らずっていうか..
東大に受かるのに必要な「物」は以下です
・パソコン(あったほうが圧倒的に有利)とスマホ
・クイズレットなどの単語暗記アプリ
・教科書と参考書合計50冊くらい
・大学の過去問と模試の過去問
・模試受験料(東大模試4回で十分)
そして必要なスキルは以下です
・正しい努力
・情報収取能力(ネット上で探すだけで十分)
情報収集能力がない人は圧倒的に不利です。PCで東大に関して調べてますか?採点基準、再現答案、回答形式など上げればきりがありません。そういった情報は塾に行かなくてもネットで調べればすぐ出てきます。逆に言えばネットに出ている程度の情報で十分です。また、正しい努力とは「必要な知識」のみをつける努力です。東大でAの分野が出ないのにAの分野ばかリを勉強していたらそれは間違った努力です。
塾なんて全く必要ないです。塾へ行くことはお金をドブに捨てるのと同じです。
塾の人気講師とかも実際自分たちの教えている内容が市販の参考書でカバーできることくらい薄々感じているでしょう。もし彼らが「いや、俺たちの授業がないと受からない」とかいうなら私が実際彼らの授業を一切受けていないので反例となります。塾の講師たちは金もうけのためにお互い他の塾をけなしたりしますが実際東大に受かるにはどの塾もいらないのです。もちろん塾の講師たちが参考書を出してくれることが前提なので塾の講師が参考書を出さず、講師以外の教育関係者も出さず、巷で使える参考書が古いものばっかりになった場合は話が変わります。それでも影響が出るのは10年先でしょう。10年程度だったら過去の参考書でもなんとかなります。肝心な「受験情報(形式変化や難易度変化など)」自体はネットで日々更新されており、こちらはおそらくこれからどんどん更新されていくでしょう。それに参考書を出さないと講師の収入が減り、誰かがやらなくても自然とほかの人がやるのが市場原理ですので心配は無用でしょう。
※河合と駿台の東大模試は受けたほうがいいです。また、東進や河合、駿台の過去の解答速報も参考になります。それらは無料公開なので、無料公開の範囲で最大限利用しましょう。
では学歴ですべてが決まる学歴社会は理想なのか
当然これは理想ではありません。確かに学歴は幼少期の学習意識、つまりその人本来の学習意識の高さを証明し、かつある程度の地頭(一般的な常識レベル)と努力できることを保証します。しかし先ほど言った通り「学ぶ力」は「普遍的な力」です。ピンポイントに発揮できるということではないのです。企業に入る前はそういった普遍的な力=学歴を基にその人の価値を判断するのは問題ないですしそれが最も合理的でしょう。しかし企業に入った後はピンポイントな力、例えば営業力だったり、設計する能力だったりのほうが重視されるべきです。なぜなら普遍的な力はあるけどその企業が欲しい力は中の上程度の高学歴と普遍的に学ぶ力はやや劣るがその企業が欲しい力に関しては突き抜けている低学歴だったら企業としては後者の方が必要でしょう。もちろん後者は普遍的な力が弱いので、その企業と似た同系列の業界でしか出世しにくくなることはありますが、少なくともその業界ではその業界でのスキルで判断されるべきです。学歴はあくまでポテンシャルの証明、つまり新卒で採用するときにのみ合理的な判断基準となるのです。
学歴が低い場合どうすればいいか
はっきりいいましょう、学歴が低くても評価されたいのなら雇われなければいいのです。雇われの身なら上から評価されるのは当たり前でその際に普遍的にまなぶ力である学力が重視されても仕方がないでしょう。特に新卒。また独立するにしても資金を集める際には学歴が見られることが多いです。つまりいままで勉強をさぼってきた分のハンデは大きく、それを覆せるほどの実績や資格を手に入れなければ対等の立場に立つのは厳しいというところでしょう。「勉強をさぼってないよ」と思った人も自分に甘いだけで実際の東大生たちの勉強時間を見れば自分がさぼっていたことに気づくでしょう。
もう一つは普遍的に「学問」を学ぶ力がそれほど重視されない業界で成功することです。これが最も現実的でしょう。たとえばyoutuberであったり、ブロガーであったりといった仕事は学歴なんて全く見られません。特定のスキルは必要でしょうが雇われじゃないし資金も大して集めなくていいので「他人からの評価はコンテンツが面白いかのみ」となるのです。
またはピンポイントな力が圧倒的に大事な業界で出世することです。つまりものづくりや通訳といったすでに必要な力が明確である業界に入る場合、学歴よりもピンポイントな力があることを証明できる人のほうが成功できます。しかし一般的な大企業では必要な能力が多く、総合的なスキル、言い換えれば普遍的に学ぶ力=学力が必要になるので学歴ばかり注目されてしまいます。
東大卒で使えない人や低学歴の成功者を見て安心するのは勘違い
東大出ても使えない人の特徴にはコミュ力が低いだったり、プライドが高いといったことがあげられます。しかし実際コミュ力は東大と相関はないでしょうし使えない東大卒より使える東大卒のほうが多いので企業も「使える人である確率」を考えて東大を採用しているのでしょう。プライドが高いのはどうしようもないですね...これは確かに欠点になると思います。東大生は内心では東大入ることが大してすごくないことを知っていながら世間に向かっては威張ることが多い気がしますね..
しかしよくある低学歴で成功した人を例に高学歴の意味のなさを否定する人はいますがそれは完全に自分に対する甘えと勘違いですね。そもそも「低学歴」VS「東大」という構造自体圧倒的に東大に不利です。低学歴は毎年100万人くらいいますが東大生は毎年3000人です。率で考えると圧倒的に東大のほうが成功しやすいですし、低学歴でも成功した人たちは先ほども言ったようにピンポイントな力がある人です。低学歴で特別なスキルもない人ではないのでそんな人たちを自分の味方にしてもほとんどの低学歴の人とは無縁なことを知りましょう。つまり自分たちと同じ立場にいる人たちが成功したのを見て安心するのは勘違いで、成功した人はどのようなピンポイントな力があったのかをしっかり分析しましょうということです。
高学歴が通用する範囲が限られているのも日本の良い所
日本では高学歴が最も通用するのは大企業の新卒採用で、中途採用はピンポイントなスキルを見られることが多くなります。実際、起業して何かやり遂げる!となった場合学歴は人脈という面では作用しますが肝心なビジネスの力は自分でつけなければなりません。つまり日本では高学歴でいれば「ある程度のエリートサラリーマン」になる確率は高くなりますが「年収億越えの大成功者」になる確率は低学歴の人と大して変わらないのです。もっとわかりやすく言うと小金持ちは学歴である程度保証されるがそれ以上を求めるなら学歴以外のものが必要だし、学歴がなくてもいいのです。東大に入ったからって満足して適当な大企業に就職して一生を終えるなら全然それでいいのですがもっとダイナミックな人生にしたいなら高学歴は大したアドバンテージにならないのです。
結論と伝えたいこと
・学歴は「大事なことを嫌でも学ぶ力」と「努力」の証
・学力=学ぶ実力
・東大に受かるのにたくさんお金はいらない。必要なのは市販の参考書とネットの情報
・塾なしで東大に受かるのはまったく珍しいことでなくそういう人はたくさんいる
・学歴と年収は関係なく、関係あるのは親の教育への意識のみ
・庶民は初めから東大を諦めているから結果としてエリートの再生産が進む
・新卒採用はポテンシャルを見ているので普遍的な力である学力が基準となるのは合理的
・入社後はピンポイントな力を重視するべき
・日本は貧困層が勉強だけで成り上がれる恵まれた国
・将来の夢が決まっていない中学生と高校生は絶対勉強を頑張るべき
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