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斉一性も連続性も希薄な自分について
大学で学んでいるとエリクソンのいう人間の発達段階をよく耳にする。
学童期とか青年期とか成人期とか壮年期とか、そういうやつだ。
各段階には課題と危機とがあって、さらに課題を乗り越えたとき何を得るかという話までを扱っているものと理解している。
その発達段階の中で自我同一性(アイデンティティ)を課題とする段階がある。青年期というやつだ。
上手くその課題を乗り越えられなかったときには「アイデンティティの
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やっと、嫌な感覚もなく、逃げたい気持ちもなく、普通に話ができるようになったね。
それがなんとなく嬉しいという話のためだけに、私は今ここにいます。
まぁ本当に言うまでもないんだけどネ。
Finally, finally, dreams came true!
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分からないことだらけだ、何もかも。
明日の天気だとか今日の晩ごはんだとかそんな程度の話ではなく、本当に、自分のことさえも分かっていないような。
分からないなりに定義づけと学習の経験を積んでいるつもりだけれど、やっぱり分からないものは分からないままだ。
あるいは分からないはずのものを解ってしまったような気がして、それが自分という定義に反しているから無意識下で逃避を選択しているのかもしれない。
恋愛感情は醸造みたいだな、とふと思った。
自分が好きになる要素を集めて無意識下で仕込みが行われて、一定期間の後いつしか完成している……というように。
隣の存在、どこかの存在、あるいは公共について
Twitterは便所の落書きあるいは独り言なのて無視すべきという言説の存在。
これについて、私は正直理解ができないでいる。
正確に言うと、同意ができないでいる。
「公共」とはどういうことだろうと考えてみて欲しい。
最低限、意志さえあれば誰でもアクセスできる場所は公共の場所であると思う。公園も学校もスーパーもそこがそうであること自体に異議を唱える人は私の想像の範囲ではいない。ただアクセスが完全に
They might be the person, or a “little friend”, at least I hope.
...I know, I wish.
確実な次を見つけるまでどうしても普通でいられないので、逃避していることを否定できないでいる。
無い夢の続きが見たくなる。
止せと思いながらも湧き上がるもの。
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さて、どうやって生きていこうか。
当然死にやしないけど、元気はない。
ないとわかっているのに向きたくなかった。
ならばもっと、何か、別の道があったんじゃないか。
お酒が飲めなくてよかった。
たばこが吸えなくてよかった。
そんなことを考えている。
誰も悪くないに何かのせいにしたいとき、一番簡単に押し付けることができる先って自分自身だよね。
だって誰の許可もいらないし、誰にも責められないからね!
1つだけ蛍光灯が切れているのを見た。全部消えている間は紛れているのにひとたびスイッチをいれれば浮いてしまう。頭の中にDBHのアンドロイドのことが頭をよぎった。
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おそらくは、ありえない話であるのだろう。
そう思っているからこそぬるま湯から抜け出せないでいる。
咄嗟に「許してほしい」だなんて言葉が口をついてでそうになるけれど、少し考えてみるとまったくもって理解ができない衝動だ。
衝動とは往々にしてそういうものなのだろうが。
一体全体僕は誰に何を許してほしいのだろうか。
あの人に僕の感情を許してほしいのか。
僕の底に渦巻く何かの存在を許してほしいのか。
ある
6月だし、自分のSOGIについてでも話すか。
そういえばちゃんと話したことあったっけ、と思ったのでせっかくだしまとめてみようと思う。6月だし(終わりかけだけど)。
たぶんかいつまんだものをツイートしたことがあるはずなんだけれど、ここでは字数制限の壁にぶち当たることがおそらくないので。
前提として今から書くことは将来に渡って二度と変更されないものではないのでそこだけは注意してほしい。今書いている私が自分をどう認知しているかということを了解して
1番続いて欲しい時間ほどすぐに過ぎ去ってしまうのはやっぱり残酷だ。
とっても楽しかった。
帰したくなかったけど、あんまり遅いとダメだからね。