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おばあちゃんが死んだら私も死ぬかもしれない/【#書く習慣】あなたの1番大切な人【DAY16】

とっても難しいお題が来たな、と思った。一瞬悩んだけど、私にとって一番なのはやっぱり母方のおばあちゃんなので、旦那よりも、まだ生まれていないお子よりも、おばあちゃんと言わせてもらう。


おばあちゃんのあだ名

私の母は19歳の時に私を産んだ。おばあちゃんもその頃はまだ40代だった。おばあちゃんと呼ぶには少し早い年齢。そのため、我が家はおばあちゃんのことを「おばあちゃん」とは呼んでいない。ママのmammyだから「マミちゃん」って呼んでる。

私は初孫。私が産まれて「マミちゃん」とおばあちゃんが名乗るようになってから、叔母も叔父も親戚の人たちもみんな私のおばあちゃんを「マミちゃん」と呼ぶようになったらしい。ちなみに本名は「マミちゃん」の欠片もない。

今日はここでもおばあちゃんのことをマミちゃんと呼ばせてもらう。

マミちゃんは私を育ててくれた第二の母

今でいうおめでた婚の父と母。お互い19歳という若さもあり、私が出来、生まれるまでの間にすったもんだがあったそう。そして無事に私が爆誕し、私の誕生日が両親の結婚記念日となった。

しかし、その2年後、私の両親は離婚した。

生活費をなんとか稼がなくてはいけない母は私をマミちゃんちに預けて、昼夜問わず働いた。なので私は物心つく前からマミちゃんに育てられた。母は産んでくれた存在、マミちゃんは育ててくれる存在。そういう認識だった。

母は働かなくちゃいけないから、私のそばにはいられない。けれど、私にはマミちゃんがいる。マミちゃんがいてくれればそれでいい。子どもの頃ってお母さんが絶対的な存在になりがちだけど、私にとっての絶対的存在はマミちゃんだ。これは今も変わっていない。

当時、まだ叔母(母の妹)が高校生だったこともあり、ようやく終わると思っていた子育てだったのに、まさかまた幼児から育てることになるなんてマミちゃんも思っていなかっただろうな。

そんな背景もあり、私は孫という立場ではなく、祖父母にとっては「末娘」という立場を確立した。お陰で従妹や妹から「ういねぇちゃんばっかりずるい」と度々言われることになる。

先週の金曜日も(今日は週明けの月曜日)わざわざさくらんぼを届けに来てくれた。隣町に住んでいるけど、我が家は坂の上にあるので、大変なのに来てくれるのだ。私が妊婦だからっていうのはあるだろうけど、それにしても優しすぎる。いい運動になるから、と言ってくれるけど、膝を悪くしてるから坂道を歩くのは相当しんどいはず。でも、私も甘えてしまう。これだから従妹たちから陰口言われてしまうんだろうな…


「西の魔女が死んだ」

突然だけど、「西の魔女が死んだ/梨木果歩著」という小説はご存じだろうか?

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。

西の魔女が死んだ/新潮社

この小説を読んだとき、私は大いに号泣した。西の魔女とマミちゃんを重ねて読んでいたからだった。この作品は孫のまいにとって西の魔女(おばあちゃん)という存在が心の支えになっている。私にとってもマミちゃんという存在が心の支え。もしも、マミちゃんを失ったら…と考えるだけでもゾッとする。それくらい私の中では大きな存在で、マミちゃんがいるからこそ、地元から離れることが出来ずにいる。いつだって会える距離で元気に過ごしていてほしいのだ。

3年前、大好きな祖父が亡くなった日。私はマミちゃんに「私が死ぬまでマミちゃんは死んじゃ嫌だ」と喚き散らし、ギネスに載るまで生き続けるという約束をさせた。めちゃくちゃな孫だ。

この小説「西の魔女が死んだ」というタイトルだが、魔女の話ではない。魔女のようなおばあちゃんと孫のお話。田舎のおばあちゃんちでハーブを摘んでハーブティーを作り、そのまま虫よけに使用したり、ワイルドストロベリーを摘んでジャムを作ったり…。都会で暮らす孫にとっては自然のものからいろんなことを生み出してしまうおばあちゃんが魔女に見えるもんだ。

実際マミちゃんも魔女だと私は思っている。


祖母という存在はいつから魔女になるのだろうか

私の母親は現在52歳になろうとしている。けれど、魔女感は一ミリもない。マミちゃんは私の記憶の中では最初からずっと魔女だった。この違いは何だろうか。

私の子どもは私の母のことを魔女だと思うのだろうか?
いや、思わないだろうな。

マミちゃんが魔女だと理由は3つある。

①家庭菜園が好き
西の魔女同様、お庭からハーブを取ってきてサクッとお料理をつくったり、毎年梅酒を漬けたり、ぬか漬けを漬けたり…。浴衣を縫ってくれたり。今となっては別に特別なことは一つもないんだけど、幼少期のころはなんでも生み出してしまうマミちゃんが魔女に見えていたのかもしれない。

②私のことをなんでも知っている
家族にすら話していないことをなぜかマミちゃんは知っているときがある。知っているというか、察しているというか・・・。
実際、私が妊娠したときも、母子手帳を受け取るまでは誰にも言っていなかった。区役所に母子手帳を取りに行ったその足で妊娠報告をしようとマミちゃんちに行ったら、「いらっしゃい。身体は大丈夫?」と言われた。まだ何も言ってない。いつも最初に身体の心配なんてしないじゃないか、なんで今日開口一番にその言葉なの?と思った。魔女は千里眼を持っている。

③マミちゃんが「大丈夫」って言ったことは本当に大丈夫になる
私が精神的にブレッブレで死にかけていた時にマミちゃんが「そんなこと気にしなくて大丈夫よ」というと大丈夫な気になってきて、後に本当に「大丈夫」になってしまったことがある。私にとって人生における巨大な壁にぶち当たっていた時で、今回ばかりは本当にダメだなって思っていた時だった。身体的にも精神的にも限界だったとき、マミちゃんが私に会いにきてくれて、ぐずぐずな私をみて「大丈夫、大丈夫。おいしいものでも食べよう」と言ってご飯を作ってくれた。何を食べても味がせず、食欲がなくどんどん痩せていってしまっていたのだけど、マミちゃんの料理を食べたら久しぶりに「おいしい」と感じたのだ。

私だけがマミちゃんを魔女と感じているのではなく、私の母もマミちゃんのことを魔女だと思うと言っているので、多分マミちゃんは魔女なんだ。


偉大すぎる存在

私にとっていかにマミちゃんという存在が偉大なのか少しでも伝わってくれたら嬉しい。正直、母といるときよりもマミちゃんといるときの方が安心感が大きい。

マミちゃんという心の支えがなくなったら私は生きていけるのだろうか、と32年間ずっと思っている。少しずつ老いていく姿を見て、いつかくる別れにびくびくしながら、今を大切にしている。

もしマミちゃんに何かあったら、私は私でいられるだろうか。そう思うほどには精神的にマミちゃん離れが出来ていない。誰よりも長生きしてほしい。私よりも先に死なないでほしい。毎日そう願いながら、今日も元気に過ごしていることに感謝!!

ずっと、元気で、長生きしてね。


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