上杉慧岳ー「近現代の真宗をめぐる人々」第4回

上杉慧岳(1892〜1972)
リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」第4回(『親鸞仏教センター通信』第68号〔2019年3月〕より)

 伝統的な真宗学を頭ごなしに否定するのはそれ自体が一つの思考の枠組みに囚われていると思うが、ただ伝統的な真宗学が強固な思考の枠組みを提供し、それが安易に継承されていったのもまた否定し得ない事実であろう。近代において従来の枠組みを飛び越え、再度、祖師の言葉と向き合う学究が真宗学で始動したわけであるが、それは證空を祖とする西山教学にも言える。大谷派におけるその草分け的存在が上杉文秀の長男、上杉慧岳である。

 上杉は、「当時我が一家の老大家御講師方の『選択集』の講録など読むと、[…] 真宗一家のみが廃立の正意をとる、西山鎮西なぞは傍正位や助正位やなぞとけなしおとしめる傾向がある、此れは大いなる間違いのもと、……」(「恩師住田先生と西山義研究」、『同朋学報』14・15 号合併号〔1967〕)などと問題提起している。また上杉は、当時西山・真宗の両研究者が行き来して西山教学について活発な議論をしていたことを伝える証言者でもある(現西山浄土宗・三浦貫道、浄土真宗本願寺派・杉紫朗などとの交流があったと言う。同上)。例えば凡夫における「行」の実現の問題など互いに批判し合うところもある西山・真宗ではあるが、両教義間を行き来する真摯な批判から初めて立体的に明かされる浄土教の本質は確かにある。そのためには互いを安易な枠組みにはめ込まないことが肝要であり、上杉の姿勢を見習いたい。

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