一番すごかった編集さんの話(その1)
・ 漫画編集業界の荒ぶるヒグマ
わしが地元・北海道で過ごしていた、漫画修行時代。
23歳になっていたわしは、忙しい漫画アシスタントのバイトに日々追われていた。忙しすぎて自分の漫画を描く時間も次第に減っていった。こんな状態じゃ、いつまでたっても夢の漫画家になれる日はやってこない。
(いっそ、上京して勝負したらどうだ?)…という考えが何度も頭によぎった。しかし内地(道民は本州のことをこう呼ぶ)の若者が電車で上京するのと、北海道の若者が海を越えて上京するのとでは、ちょっと飛び越える気持ちのハードルの高さが違う。親や会社のバックアップでもないかぎり、海外移住と覚悟が変わらないのだ。
うちのダメ親は、わしの中学時代ですらバックアップをできていない。なので、わしはその頃から新聞配達ですべて自分の物は買っていた。上京したくても、まったく親は頼れない。
さらにわしが通ってる漫画の現場は、アシスタントがわし一人しかいない。わしが職場を抜けたら、師匠の連載はどうなるのであろう?
さらに時給もかなり安く。交通費も出ないので、冬は雪道を毎日1時間歩いていた。師匠に「これ東京のアシスタントさんがもらう、半分の給金ですよ。わしが学生の頃のバイトの時給より安いですよ?」を何度伝えようと思ったことか。未熟な弟子のわしの立場ではもちろん言えないまま、すでに2年が経過していた。
この職場を堂々と辞めさせてもらうには、自分が漫画をあきらめるしかない。今までわしは、ワガママな理由でバイトを辞めたことが一度もないのだ。現状このままじゃ漫画家になれない未来予測はハッキリ見えている。さすがに将来をしっかり考えた方が良い時期だ。
やめよう漫画を。就職しよう。2年目にしてやっと決意が固まった。
アシスタントを辞める前に、おふくろにまず、漫画の夢をあきらめることを話そうと思った。口にはしたくない言葉だった。
「なあ、おふくろ、実は漫画をやめ…」
その瞬間に、わしの携帯電話が鳴った。
吐きかけた言葉が止まり、とりあえず電話を取る。
その向こうから聞こえる声は、かなり久しぶりに聞く声だった。
「おう!俺だ! おまえいつ東京来るんだよ?」
半年ぶりだろうか。わしがデビューした雑誌の担当編集さんだった。
東京?
そもそも東京に行きたいという話を、この人に話したことがない。
しかし開口一番ぶつけられた質問に、わしは思わず
「えっと…来月くらいに行きます。」
と、答えてしまった。
必ず来い、バックアップはする!と言われて電話が切れる。
呆然として電話を切ったわしは、振り返りざま、おふくろに
「なんか俺、東京行くことになったわ…。」
と、カッパに尻子玉を抜かれたような顔で、そう言った。
わしの尻子玉を抜き去った、この担当編集者。
まるで漫画みたいなタイミングで電話をかけてきたこの男性。
これがわしが今こそ語りたい、伝説の編集者である。
その編集さんのお名前を、この記事の中では、ヒグマさんと仮名で呼ばせていただこう。
当時ヒグマさんは、まだ35歳くらい。わしより干支がひとまわり上。
役職はデスクという、ヒラの編集者から一段階あがったくらいの方であった。
わしが21歳で、その雑誌の新人賞を受賞した時、副編集長の方が担当になりたいと申し出た。しかしヒグマさんは「俺も欲しい」と、副編集長に「ウヒョ助を取るジャンケン勝負」を持ち込んだ。そしてヒグマさんはアッサリ負けた。
しかし、そのあとすぐに副編集長が、読者層が年配の雑誌に異動になったため。結局ヒグマさんがわしを取り戻した。
編集者は普通、一人で数人の新人を抱えている。
多い人は10人、20人も抱えていたりする。
将棋で言えば手持ちの駒のようなものだ。その駒で企画を作り、王である編集長を詰めに行き、勝てば連載企画がスタート。手持ちの新人がヒットを出せば、その編集者の大手柄である。出世への第一歩だ。
当時23歳のわしは言うなれば、歩よりはマシな香車みたいなもので。新人としては、あまり価値はなかったはずだ。とにかく絵が下手。せいぜい王道を直球をぶつける熱っぽさがネームにあるくらいだった。
わしは以前、ヒグマさんに聞いたことがあった。
「ボクの他にも、どれくらいの数の新人を抱えているんですか?」
ヒグマさんは答えた。
「おまえ一人だよ。だって新人抱えるなんて面倒臭えよ!」
…口がアングリした。
この人は駒を使わず、今までどうやって編集者として成り上がってきたのであろう?
その理由はあとでわかった。
このヒグマさんは、他の編集者や上司が「さすがにあの人気作家さんをスカウトするのは無理だろ、あの出版社にブチキレられるぞ」という、かなり無茶目なところに臆することなく、飄々とスカウトに向かい。その豪快でデリカシーがないながらも、裏表のまったくない竹を割ったような人柄で気に入られて、堂々と引き抜いてくるのである。
将棋で言えば、飛車角を奪いに行く人だったのだ。
嘘だろ、その出版社の看板作家じゃねえか!…という人気作家まで落としていた。本当に恨まれて刺されるレベルである。
しかしこのヒグマさん、のちほどいっぱい語ることになると思うが、怖い物がないのである。
そんなヒグマさんに上京しろと恫喝…違う、オススメされ、わしは翌日から上京の準備を進めることになるのであった。
なにせ「すぐ来い!」って言われているのだ。
・ 上京した日に裁判所
まずは上京する前に、東京で住む家を探さなければならない。
ヒグマさんが当時、担当されていた連載作家さんの、若狭たけし先生。
そちらでのアシスタントの仕事を、先にご用意していてくれていた。
つまりわしは、上京後の職探しは不要なのである。
しかも前の職場より時給も倍に近い。北海道では信じられない高さの時給だ。生活の心配がいきなりなくなった。住む家だけ探せばいい。
バックアップとは嘘ではなかったのだ。
上京するからには、なるべく生活費を稼ぐことに時間を奪われたくない。自分の漫画を描くことに集中したい。そこでわしはまず住処を「交通費のかからない、若狭たけし先生のご自宅そば」そして「その地域で一番安い物件」という条件目標で、東京へ降り立った。
滞在費を浮かせる為にも、なるべく早く見つけて契約し、宿泊せずにすぐ帰りたい。上京するための資金は、漫画賞の賞金や読み切り漫画のギャラを全部使わずにとっておいていたので、80万円くらいは持っていた。さらに上京の前日に、大工の源さんとフィーバーパワフルで11万円勝っていた。とりあえずの準備資金はバッチリである。
若狭たけし先生は、当時は練馬区のある町に住んでいた。その最寄駅に降り立ったわしは、駅の改札を出てすぐ目の前にあった不動産に飛び込んだ。
「一番安い物件を教えてください」
この地域はかつて学園都市になる計画だったが、それが潰れてオジャンになったため、駅名にのみ学園都市の名残が残った、普通の住宅街である。貧乏な若者向けの賃貸があんまりなかった。
そんな中で、不動産屋さんに一番最初に教えてもらった物件。
家賃3万6000円の、風呂なしアパートである。
わしの実家のオンボロ長屋の、家賃と一緒じゃないか。
さらにお風呂がないのか…。
間取りは6畳と2畳。
2畳?
わしはとにかく早く家だけは決めて、北海道にすぐ帰りたかったので、アッサリその物件に決めた。
大家さんのオバアちゃんが住んでいる2階を、下宿に改造したヘンテコ物件だ。庭木が繁殖しまくって、腐海のようなジャングル。見た目からヤバい。さらにババアがさらなる改造をほどこし、ハシゴから物置の屋根に登れるどころか、そこからわしの部屋のベランダまで足場が伸びている。
ふと振り向くと、ベランダの窓からババアがのぞいている。そんな住居である。さらにその向こうに見える景色は、墓地。面白いじゃないか。
たった1時間で住む家が決まったので、余裕をこいて不動産の隣にあったパチンコ店に飛び込んだら大当たり。パチンコを打つたびに上京資金が加算される。神様からのバックアップもえげつない。
しかし宿泊費はケチりたい。その日のうちに北海道へ帰る飛行機便がまだあるか調べよう。しかしその前にヒグマさんへ、家が契約がすんだ報告をしなければ。やはり編集部に挨拶くらいは行ったほうがいい。
編集部に電話をかけた。
「ウヒョ助、おまえ、あと3日そのまま東京にいろ。」
「は?」
「週明けに裁判あるんだよ。 俺が被告人の。」
「は?」
「俺の裁判を見てけ。 それまでの宿泊費全部出すから」
「はあああああああ!?」
こうして、わしは意味もなく東京に3日滞在することになる。
池袋のビジネスホテルで連泊。
しかしヒグマさんの裁判とはなんだろう?
被告人?
え、あの人、逮捕されて罪を問われてる人なの?
こうしてわしは3日後、地方裁判所がある霞ヶ関へと向かった。
お金を使いたくなかったので、滞在中はずっとホテル近辺から動かなかった。よって東京に来て初めての観光が「裁判所」である。
集合場所が法廷である。
中に入ると、被告人としてヒグマさんが座っていた。
そして傍聴席には、変わった風貌の人たちがいた。
モヒカンでヒゲのおじさん。
髪の毛が緑色の若い女性。
下駄をはいた、これまたヒゲのおじさん。
座る席が違うんじゃないのか、この人たちは。
被告人側にいるべき人じゃないのか、このアナーキーな風貌は。
しかし、すべてヒグマさんの友人であり、関係者である。
そして、のちにわしが一緒にお仕事することになる人たちであった。
・ オービス裁判ってなんじゃらほい?
どうやらその裁判は「スピード違反をしたヒグマさん vs 交通違反を取りしまった警察」がバチバチ戦う、意地の張り合いらしかった。
高速道路で、規定速度以上のスピードで運転していたヒグマさんの車を、オービスという交通取り締まりマシーンが感知して、写真をパシャリ。
軽微な違反だから、普通の人は罰金を泣く泣く払って終わるところだが。ヒグマさんは「そのオービスとやらは信用ならねえ!俺は認めねえぞ!」とブチギレ、警察からの「金払え」をハネのけ続け、とうとう裁判所に呼びだされ被告人になるまで粘り、泥沼勝負に持ち込んだらしい。
しかも自分で弁護士を大金払って雇い、すでに2年がかりらしい。
違反キップの金を払ったほうが、全然安上がりなのである。
なのに自分があえて被告人になることで、警察と真正面で喧嘩し、交通取り締まりの闇を暴こうとしてるのだ。このヒグマさんという編集者は。
つまりみずから裁かれることで、取材をしようとしているのだ。
さらにこれは会社から言われた企画でもなく、ヒグマさん個人が勝手にやっている戦争とのこと。傍聴席の人たちは、その戦争の協力者である。見た目だけじゃなく、本気でアナーキーをやってどうする。
この人たち、気が狂っている…!
なにを面白がって、国家権力に喧嘩を売っておるのだ。
被告人席では、ヒグマさんが演劇の役者みたいに「こんな裁判は茶番だ!」と叫び、裁判官が「茶番とは何ごとだ!」と本気でブチギレている。検察官はニヤニヤ。傍聴席もニヤニヤ。
…なんだコレ?
そんな光景が、北海道から出てきた田舎者の、初めて見た東京である。
わしは(東京にはすごい人たちがいるもんだ、編集さんってあんなブッ飛んだ人ばかりなのかな?)と思いながら、帰りの羽田空港へ。その帰り道、浜松町で売ったパチンコも大当たりした。なぜか手持ちの金を増やして、一度北海道に戻ることとなった。
しかしヒグマさんの本当のすごさを知るのは、上京してから先のことであった。
のちにわしは知ることになるのだが、編集者の世界を描いた、土田世紀先生の名作「編集王」
その作中に登場する「明治一郎」という豪腕かつバイオレンスな名物キャラ、そのモデルがヒグマさんだったのだ。
ああ、よく見れば顔もそっくり、さらに下の名前も一緒だ…!
しかし本人は、漫画以上に破天荒、さらにカッコよかったのだ。
わしの目から眺めた、ヒグマさんを語っていこう。
漫画業界がまだ元気いっぱいだった良い時代が、ヒグマさんの足跡からのぞけるはずだ。
(つづく)↓