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まんま見いや

絵、歌、文学、芸術作品に出会うと心が動かされる。
そんなとき、あなたはどうするだろうか。

思うに多くの人に同じく、自分は語りたくなる。この驚きを、この悲しみを、この面白さを、言葉にしたくなる。水に溶かした片栗粉をぎゅうっとつかんで、硬くなったのがまたゆるんでほどけて、もいっかい集めて、とそんな感じで、思いをあつめる。言葉をあつめる。

言葉にするだけではすまない。語りたい。あるいはまぶしい、あるいは禍々しい、この宙に浮いたエネルギーみたいなものを、大胆に、だけど誠実に、言葉にして、誰かにぶつけたい。ぶつけあって、共鳴したい。

と、まあ熱のこもった文章を書いてしまいましたが、「芸術作品にどのように向き合うか」ということについて、先日、はっとさせられるような出来事があったのです。
それは一人の友人との出会いでした。

彼女は解釈を聞かされることが、あまり好きでないようでした。言ってしまうと「苦痛」とまで聞きました。作品を作品のまま受け止めて、感想は胸に秘める。それが彼女の向き合い方なのです。

「そんなん言っても。絶対「美しい」とか「すごい」とか思っちゃうやん。絶対語りたくなるやん」と自分はこれに少し懐疑的でした。でも、頭の中のリトル評論家の成長が近年著しく、なんでもかんでも概念の網で捉えようとしている自分に気付き、いい感じに反省するきっかけとなりました。


ほんとに大事なものは、人に教えたくない。
わかったきにならないで、生身のままで向き合う。

そんな素直な心を大切にしたいな。

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