言葉はハコだ そしてウラから表に 学びと発見と気づきの徒然 vol.1
coffee好き、まじないのハコ作るアーティストUGYAUです。こんにちは。
このところのUGYAUはハコと言う存在に心奪われ、ハコと言う観念とまじないを量子力学的に哲学的に取り入れた作品を作ったりしています。
(この様にざっくり書くとかなり意味不明…詳しくは以下のリンクを是非。
https://note.com/ugyau/n/n87de16e9cc29?magazine_key=m4a8198f3ea73 )
この所、少しゆるっとしたアウトプットをしたいなと思っていました。
一つのテーマを深く掘り下げて思考するのも好きですが、その時その時の小さな気づきもちょっと書いてみたい。
そんな思いがありました。
なので今回から徒然投稿を始めてみようかなと思います。
作品制作のためのネタ集めのインプットをしていると、時々とても素敵な事を知って感激する事があるのです。
その時に感じた驚きや喜びのエネルギーってどうも体外に出さないとムズムズしてしまう。
なので、自分への備忘録と共に似た様な事象に興味関心のある皆様にシェアさせていただこう!と
1人勝手に決心し徒然シリーズ始めてみます。
この様な投稿でもどなたかに読んでいただけましたら幸いです。
さて、今回書こうとしている気付きはタイトルにもある
言葉ってハコなんだってよ
って事とそのほかのいくつかの気づきについてです。
ハコを扱った作品を作っているアーティストとして、
また、このnoteに文章を綴る様になって今まで以上に言葉の選び方使い方に意識を向ける様になった者として、
この気づきはかなりのインパクトがありました。
心のムズムズによりアウトプット欲が高まってしまったので、若干思考がまとまらないまま書き始めております。
なので、いつも以上に文章のゴールがフラフラしているかもしれないですが、すみません。
言葉の説明
※気付きの解説に入る前に少々言葉の説明。テンポが悪いのですがご容赦下さい。
パッとみて、説明されなくても知ってるよ!って方は飛ばしちゃって下さい。
言霊
日本には言霊と言う単語があります。
言霊と聞くと一般的には言葉自体が力を持っているように受け止めるのではないでしょうか?
私もそうでした。
そしてなんでかわからないけど、
"言葉には力が宿るから滅多なことは口にしちゃいけない"とか
そんな認識で生活してたりします。
シニフィアン シニフィエ
このシニフィアン(signifiant) シニフィエ(signifié)とは、
スイスの言語学者・言語哲学者のフェルディナン・ド・ソシュールと言う方が考えた言語理論の一つです。
一つの言葉があるときに、シニフィアンはその言葉のもつ「音」の側面を、シニフィエは「意味」の側面を指しています。
言葉だけじゃなく全ての事象を記号として捉えて、「記号」とそれが「表すもの」とに分けて捉える学問「記号論(記号学)」の始まりらしいです。
(この辺りはググっていただいた方が正確な解説が出てくると思うので詳しくはそちらで。)
この考え方を知ったのは20年くらい前。
その時の感想は、
「言葉は記号なんだなあ」
と言うだけのアホ丸出しな小並感…(※小学生並みの感想の意)
ただ、言葉を二つに分けて理解するという方法があるんだな。面白いな。
と言うことだけ印象に残っていました。
メタファー
メタファーとは比喩表現の事で、その中での隠喩の事。
wikiには以下の様に書かれております。
これだけ読むと分かりづらいので、例文を上げると
「彼女は僕の天使だ」
と言う言い回しです。
(ちなみに、これを直喩にすると「彼女はまるで天使の様だ」となります。)
言い表したい何かを説明する時に、
"別の言葉の持つイメージから想起させる様に
さりげなく文章に忍ばせる言い回し"って事ですかね。
(頭の良い人とか話術、文章術に長けている方はきっとこの能力高いんだろうな…。)
言葉の説明はここまでです。
ようやく内容に入ります。
イメージ?シンボル?メタファー??
先日の2022年3月3日。
私は作品制作の為にメタファーについて調べておりました。
世の中にあるモノやコトを絵に描いた時、その描かれた絵を見た人間は何を想起するのかをUGYAUは知りたくなったのです。
記号、イメージ、シンボル(象徴)などを目にしたときに人が心に感じる感情と思考はどんなものなのか。
逆に言うと何を核にして記号、イメージ、シンボル(象徴)が作られているのか。
そんなことに興味を持ったわけです。
なのでそれらが学べそうなシンボル図鑑や夢判断の本をなどを読み、
その流れでメタファーについて書かれた本にたどり着きました。
ぶっちゃけその時はまだメタファーについてよく分かってなくて、シンボルという意味の言葉と勘違いしてた。
本当は図像やシンボルのことを調べていたつもりだったのですが、言葉の比喩表現の言語学の本を手にしていたという…。
今まで知らない事を知ろうとして知識をかき集める時に、割と起こりがちかもしれない現象。(私の場合はそうなんですが皆様はどうなんじゃろう。)
しかし、意図しない本との出会いが思いがけない発見と気付きになる事もある。
今回のがまさにそれ。
その本に書かれていたのがこちら。
"言葉は入れ物"とな!?
入れ物と書いてあったんですが、
まじないのハコ作る人である私の脳内でそれは箱の形状で認識されちゃいました。
言葉という箱の形状を持ったモノがあり、誰もがその外見や音を認識することが出来る。
しかし、開けようとした人だけがふたを開けて中身を取り出し理解することが出来る。
言葉の受け取り手の理解力や受け入れる為の器の広さ.言い換えてみると"言葉のスキルレベル"によってフタの開け方と中身の受け取り方が違う。
中身は言霊の核です。言葉の魂が入ってるわけです。
人間の様に、身体と魂は別物の様に扱ったりする。
でも実際は分けられるものでもなくて二つで一つの私を作っている。
そう受け止めた私の脳内に"言葉"はバーチャル物体として形を成し、まるで質量を持ったモノを掴んだごとく明確な理解を得た。
シニフィアンシニフィエの時知った
"言葉は記号と表すものに分けられる"
という説明。
そして“言葉には力がある”と言う言霊という考え方。
言葉は入れ物と考える事で両方の認識がちょうど良いあんばいに私の中にストンと落ちたのでした。
言葉の扱い方を丁寧にする
同じ本に書かれていた内容です。
これも読んだ後にムムムっとなってしまいました。
言葉が入れ物だとすれば、確かに全ての言葉に何かが入っているわけではないんですよね。
当然カラの言葉がある。
そもそも"中身のない言葉"とか"空っぽな言葉"などと言う言い回しがあるのだから、人は意識せず言葉には中身が存在するって事を知っていたんですよね。
(私はそれにフォーカスした事がなかったので、今更ながら確かにそうだよなあとめちゃくちゃ納得した。しかし、自分の言葉に対する鈍感さに驚いてしまった瞬間でもあったりするのだけど。)
今まで薄っぺらに感じた言葉たちは、もしかしたら言葉の紡ぎ手が何も込めずに放った言葉だったのかもしれないなあ…。と、そんなことにまで思いを馳せたりしちゃったくらいです。
さらに、
とも書かれていた。
言葉を話す、文章を書く時、私たちは己れのウラから思いを取り出している。
読みながら"よっこいしょ"と取り出す動きが脳内再生です。
なるほどこの様に認識すると、言葉を話したり書いたりする行為は自分が思っていた以上に動的でエネルギーのいる行為なのかもしれない。
この事に気付かされたおかげで、なんだか普段の会話や文章ももっと大事に扱っていきたいなと思いました。
表現という行為を大切にする
それに当然ながら"表現する"とは言葉以外の表現もあります。
音楽を作る、歌う、絵を描く、彫刻をする、演じる、踊る、などなど。
わたくしUGYAUはこの20数年、アーティストを名乗り作品を発表し続けてきました。
大体好き勝手に描きたいものを描き、作りたいものを作ってきた人生でした。
それでも、いつでも私はウラから思いを取り出し表にし続けてきたのだなあ。
"よっこいしょ"をちまちませっせとやり続けて今があるのだなあ。
そう思えば、なかなか私も頑張っていたではないか。
1人勝手にそんな思いになりつつ、
今までもこれからも私は私のウラを取り出し続けるのだという事を再確認し、その取り扱い方に心血を注いでいきたいと思ったのでした。
以上、心のムズムズのアウトプットをさせていただきました。
予想以上に長くなってる気がするのと、やはりまとまりのない文章になってしまった。
でもまあ、徒然だから。つれづれだから!!
と言う事でご容赦を……
(この先も書きながら頑張ってスキルアップします!)
気づきの成果はどうなるかな?
今回調べていたイメージ、シンボル、メタファーなどは来月開催する展示イベントでその成果をお見せしたいと思っております。
2022年4月16日〜予定
立石Coffee縁日2022(仮)
京成立石駅前のYAZAWA COFFEE ROASTERSさんにて開催。
昨年の様子はこちらを是非
制作期間後1ヶ月ほど。
頑張って取り組んでおります。
この投稿でも興味を持ってもらえたら嬉しいなあ。
もう少ししたら詳細なお知らせなどしていきたいと思っています。
でわでわ。
最後までご覧いただきましてありがとうございました!