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山本遊子更年期日誌、九

 前回、この日誌を書いてから随分と時間が経った。(と思ったけど2週間程度)あっという間に仕事で日々忙しくなってしまった。お金を稼がないと子供の養育にこれからもどんどんお金がかかること間違いないので致し方なし。生きて、働いて、子供を育てるんだ。
 そして今日は母と久々におでかけ。前に会った時よりも確実に老いている77歳の母を横目に、春の訪れを感じて少し焦って少し疲れもして。

 今日は3月11日。震災から11年。私が福島県生まれだったらどう思うだろう、と考えてみたけれどよくわからなかった。とりあえず11年経っても「かわいそう」な目で見られるのは嫌だろうな、と思った。あとは本当によくわからなかった。

 私にできることは少ない。狭くても小さくてもいいから私が深堀りできるものを深掘りしていくしかないんだ、と最近は思っている。そのせいで切羽詰まるし、自分を責めたりもする。
 昨年出来もしないのに「あなたのために」と言って自分以外の人のために無償で何かしようとして色々失敗してしまった。悪気はないが自分は人のために行動するのが苦手なエゴイストだということを思い知った。無償の愛を配る余裕は私にはないんだ。
 ただし、子供に対しては別。子供にはいったいいくら使うのだろうか。自分とは別の人間なのに子供にお金をかけてしまうのは、自分(親)の生きる意味をそこ(子供)に投影できてしまうからだと思う。だから子供が尊いのだ。究極のエゴで、だからこそ危険なんだけども。めんどくさい。愛というやつは。自己愛というやつは。

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