特技を活かさなくても、いいじゃんべつに
住宅街のちいさな古着屋にとつぜんコムデギャルソン等のブランド古着を置き始めるのですが
これが、売れます。
アメリカ古着もヨーロッパ古着もブランド古着も
良いと思ったものはなんでも置く
こういうショップは今はけっこうたくさんあるけど
1994年当時はめずらしかっと思います。
なんの宣伝もしてないのに口コミでたくさんのお客さんが来てくれて
わたしは17歳・高校三年生の時点で
最高月収が60万円くらいになりました。
その全額を母に渡していたので金銭感覚は以前とかわらないド貧乏の高校生のままです。
わたしが調子に乗らないように母が管理してくれていたのと、ウチには父の借金や仕事で使う機械のリースなどが残っていて、その支払いに充てていたのだと思います。
とりあえずお店はここまでかなり順調
高校三年生なので卒業後の進路を決めないといけない時期になります。
ここで問題発生
わたしは学校のお勉強がぜんせん好きじゃなかったのに、すごく得意でした。
テストの結果は興味がなかったので見たことなかったんですが、とても良い成績だったらしいです。
足が速いけど運動きらい とか
歌が上手いけど人前で歌いたくない とか
そういう人もいると思います。
特技を活かさなくても、いいじゃんべつに
しかし、そんな理屈は通用しない、
当時は受験戦争時代。
人間の価値は偏差値で決まる。
よかったのは、髪を染めてピアスを5〜6個あけてドクターマーチンで通学しても何も言われなかったことくらい。
より良い大学に入ることが将来の幸せにつながる唯一の道であると社会全体が本気で信じていた時代。
わたしは古着屋を続けながら
「文化服装学院」に行くと決めてました。
これに教師たちが怒り狂います。
大学に入れる学力があるのに専門学校を志望するとは正気の沙汰か!?
連日 考え直すように言われ
とうとう自宅にまで来て大学を受験するよう親も含めて説得してきました。
自分の受け持つ学年の進学率を上げるために必死で
本人の意向を理解しようともしない教師。
「こういうカッコ悪い大人にならないために、教師の言うことは聞かないようにしよう」
わたしの意思はさらに固くなります。
成績が良いと進路を選ばせてもらえない
90年代はそんな時代でした。
それでも結局
自分の意思を押し通して文化服装学院に入学します。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
学生古着屋経営者のお話はもう少し続きます。
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