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無農薬について①


「安心・安全な野菜」とはなんだろう。

無農薬であること?生産者の顔が見えること?はたまた環境に配慮されていること?

「安全な野菜」と聞いて広がるイメージは、生産者と消費者でかなり乖離しているのかもしれない。


消費者にとって、無農薬であることは、とても重要だと感じる。

それは、農薬がこれまでもたらした環境へのネガティヴな影響もあるのだろうが、何かよくわからない、でも、良いものではないだろうという漠然としたイメージが先行しているようにも感じている。

スーパーの棚に並んでいる野菜は、ほぼ間違いなく農薬が使われているし、飲食店の食材だって調味料まで含めて無農薬製品を揃えることは難しいだろう。それほどまでに農薬は私たちの生活の中に浸透している。

欧米文化の流入と経済成長による人口増加、それに伴う農作物の生産性の向上は、戦後の日本における大きな一つの流れであり、農薬が担った役割は大きい。
ただそれは良い面と悪い面の両方をはらんでいたと言える。

「できるだけ農薬が使われているものは避けたい。」
そこには、自分の健康を損なうことへの危機感、それから、生産者や環境への配慮が見え隠れする。
消費者の不安は尽きることなく、日に日に増しているようである。


さて、では生産者の視点はどうか。

まず、慣行農家と言われる大多数の農家たちは、農薬を使う生産方式である。
これは一般的な認識として間違ってはいないが、慣行農家の中にもいろいろな考え方があることを知っておかなければならない。

一括りに慣行栽培といっても、使う農薬の種類や使用頻度、その土地の気候や土の質、作付け規模など様々だ。

品質の良い生産物を安定供給してこそプロだと考える人。できれば農薬は使いたくないけれど、出荷先の要望に応えるために仕方なく使用する人。農薬資材の高騰で使いたくても使えない人。と、日本におけるプロ農家の中でもいろいろな考え方や立場がある。

安全性という視点からみてみよう。
農薬を使用する量や頻度は、法律によって細かく規定されている。
それは人体に影響が出ないというのが大前提。
慣行農家の中には、「安全だ」というより「危険ではない」という認識があるのだと思う。

これを良しとするかどうかが重要で、そうでもしないと農業が成り立たないという声もよく耳にする。
それだけ農業というものはリスキーで、農業従事者の減少に歯止めがかからないのも無理はない。
日本の食を支えてきたという事実は、良くも悪くも生産者を縛る。
もう後戻りできない、それが現実なのかもしれない。

また、少数派である有機栽培農家の中でも、その考え方に違いが見られる。
しかし、無農薬であることを主張し過ぎると角が立つというもの。あえて曖昧に捉えている農家も少なくない。

「どこまでを無農薬とするか」という問題はおそらく永遠にイタチごっこを繰り返すだろう。そこに誰もが納得する答えがないのは明らかだ。
しかし、それが、時に論争を呼び、分断を生む。
昨今の無農薬を謳う生産者への風当たりの強さは本当に厳しい。

同じ農を生業としている者同士が歪み合い、罵り合うのは見るに耐えない。

マーケティングとしての「無農薬」に明るい未来はあるのだろうか。このハレーションが多様な農業のあり方を実現する第一歩となればいいのだけれど。


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