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土から学んだこと
田んぼの土と畑の土。
それぞれの役割があり、それを理解しながら作物を育てることは簡単そうで難しい。
今使っている自然農の畑は、元々田んぼだった。
田んぼは、水を溜める性質上、「鋤床層(すきどこそう)」と呼ばれる固い粘土の層がある。作土層も水もちの良い粘土で作られている。
これが田んぼから畑に転換するときに厄介なところで、土の質自体を変えていかなければ作物は育ってくれない。
僕が自然農を認識したのは、農法やテクニックの部分からだった。
「耕さない、肥料農薬を使わない、草や虫を敵としない」
この原則から、不耕起で無肥料、無農薬で作物を育てる、環境に配慮し、生態系を維持できるような農のあり方を目指した。
耕すことも最小限、草を刈っては敷く毎日。
それが自然農だと(頭では)理解していた。
上手く作りたいと張り切って挑んだ一年目のトマト栽培。結果はカメムシと蛾の幼虫に好き放題にされ、ほぼ収穫できず散々な結果となった。
ここで脱落する人が多いのはかなり納得のいくところだ。
自然農は難しい。収量も大きさも他の農法とは比べ物にならないし、効率的でもない、結果がついてくるには何年もかかると言われている。
一年目はまだいいがそれ以降かなり苦労するという声は嫌というほど聞いてきた。
でも自分は辞めなかった。
なぜか。
畑での作業は気持ちいいし、野菜の味は間違いなくおいしいと思う。
そして、1番の理由は、自然農を楽しむ人に出会えたことだろう。彼らは、心から楽しく畑に向き合っている。
自然農は農法ではない。
目の前の自然に添い従うこと。
そこに自然農の魅力がある。
田んぼからの転換で、土は重粘土、日照りが続けばガッチガチに固くなり雨すらはじいてしまうほど。そんな場所でうまく育つ作物は少ないだろうと思う。
一年目のトマトはまさにそうだった。
原因は土の質?
いや、原因は凝り固まった自分の思考にあったのだ。
ガチガチの土で作物が根を張るにはいくらか耕す必要があっただろう。畑全体ではなく、作物が根を張る周辺、半径20センチ程度の範囲を軽くほぐし水の通りや空気の通りを良くしておく。
トマトはそれほど水を必要とはしない。それは誰が言ったか知らないが、それよりも目の前のトマトがどうなっているかを観察することがとても大事である。
葉が黄色く枯れている、脇芽がたくさん出てきている、カメムシがたくさん集まっている。
この状態から、僕は仮説を立てる。
葉が枯れているのは、おそらく水不足だ。土はカラカラに乾いている。脇芽を残して仕立てたため、葉からの水分の蒸散や土から吸い上げる水の量が足りていない。だから色付きかけた実にカメムシが集って実を落としトマトの葉や茎の方に水分を届けようとしている。
トマトがカメムシと目に見えない菌たちに要請し、バランスを取ろうとしているとさえ感じる。自然は常にバランスをとるように動く。
では僕にできることは何か。
脇芽やカメムシに吸われてしまった実を落とし、そこからの水分の蒸散を減らす。水をやり、根本に草を敷いて蒸発を防ぐ。
これでひとまず様子を見ることにした。
自然農には正解もなければルールもない。
目の前の自然をよく観察し、バランスをとる。
あとは作物を信じて見守る。
とてもシンプルで本質的。
多様な世界を守り、排除しない。
土が作物を作る最高の状態になるには長い時間がかかるかもしれない。それまではよく観察し、手を貸す。時には耕すし、時には水をやる。でもその自然の循環を大きく壊すことはしない。
たくさん失敗したが、とても大事な心構えを手に入れた気がしている。
ちょっとやそっとではびくともしない、土台のようなもの。
自然農を志すより多くの人に知ってもらいたい感覚である。