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R5.4.25 ちょっと論文読み

最近、とくに朝に弱くなったのを感じる。布団と格闘してからメンクリへ、そのまま倫理学講義。昼食後昼寝。4限に行くつもりが寝こけてしまった。5限、哲学の講義へ。他学部聴講デー。

取り寄せた論文

池田喬がアメリカにおけるハイデガー受容について、ローティおよびカヴェルがどのようにハイデガーを読んだかを紹介する論文を少しだけ読んだ。ローティとカヴェルがどのような思想家で、どういう経緯でハイデガーを読むに至ったかが解説されていく。
ローティはネオ・プラグマティストとして知られる思想家で、日本ではちくま文庫から出ている『プラグマティズムの帰結』(以下「帰結」)が入手しやすい。そして池田喬もこの「帰結」におけるハイデガーの読みを参照している。
私自身がまだ不勉強なのもあり、プラグマティズムをよく知らない。しかしながらローティはカヴェルの"The Claim of Reason"の書評を書いており、それもまた「帰結」に収録されている。こういう経緯もあって、ローティへの興味が募るばかりである。

さて、カヴェルを中心に読んでいこうとしている私にとっては、池田喬がどのようにカヴェルを読み解いていくかに興味がある。やはりというか、"Must We Mean What We Say?"に収録されている冒頭2論文と、"The Claim Of Reason"を参照して、カヴェル哲学がどのようなものであるかを確認していた。ここはカヴェル哲学の核と言える場所でもあるし、やはりここは避けて通れなさそうだ。私はまだ読めていないので、学部生のうちに格闘を終えたいところ……。邦訳は当分出ないだろうなぁ……。
その後に『センス・オブ・ウォールデン』におけるソローの読み、そしてカヴェルの「道徳的完成主義」に触れられた。この辺りのことをよく知らないので、とても助かった。以下のように簡潔にまとめてあり、繰り返し参照することになりそうだ。一応注釈をいれておくと、このまとめのために池田喬はカヴェルの解説書を出したりしている哲学者、Mulhall, Stephenの"Stanley Cavell: Philosophy's Recounting of the Ordinary"(1994)を参照している。

・個人が自分自身、あるいは自分自身の内なる人間性に向ける信頼
・魂を絶え間なく進んでいく旅の途上にあるものとして理解すること
この旅は、世界へと自己喪失しているところからはじまり、社会か自己のさらに教化された、ないしは教養ある状態のために、社会の拒絶を要求する

池田喬、2021,「アメリカ哲学の体現者としてのハイデガー――ローティ、カヴェル、ねじれた現象学の異境的転回―」、『何処から何処へ: 現象学の異境的展開』、知泉書館

カヴェル「道徳的完成主義」は邦訳されているので助かる。

今日は簡単にここまで。

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