眞鍋理一郎追悼(再録)
今年(編注・2015年)2月10日、作曲家の眞鍋理一郎が亡くなった。映画音楽を主に手掛け、生涯関わった作品は500本。『州崎パラダイス赤信号』、『暖簾』ほか川島雄三作品では黛敏郎と交互に音楽を受け持ち、『愛と希望の街』、『青春残酷物語』、『日本の夜と霧』など大島渚の初期作品で、湯浅譲二、林光らとともに音楽面を担った。プログラムピクチャー時代を支えた作家の一人として、スーパージャイアンツ、ゴジラなどの特撮シリーズ作品でも強烈な印象を残す。「大島の『天草四郎時貞』、『飼育』もある意味SFドラマと同じように作曲した」と眞鍋自身が語るように、それら作家映画と娯楽作品の区別はなく、前衛作品に顔を覗かせる甘美なメロディー、エンタテインメント作品に持ち込まれるアヴァンギャルド手法が眞鍋音楽の魅力であった。
メジャー五社作品だけでなく、フォルモグラフィーには独立プロ、ドキュメンタリーなど、多彩な交流が伺える。決して正当な知名度を得た作家ではなかったが、77年に東宝レコードが企画した作家別映画音楽LPで、すでに主要作家の一人として師匠の伊福部昭らとともに作品集がまとめられている、シネフィルに愛された音楽家だった。晩年は伊福部トリビュートコンサートなどに関わり、『ゴジラ対ヘドラ』は今世紀に入って、原発問題などが再燃するなか、シリーズの隠れた重要作として評価を受けた。筆者もそんな世代のファンの一人で、特に毎日放送「横溝正史シリーズ」ほか、テレビ音楽で眞鍋理一郎の名前を脳裏に刻んだ。
1924年東京生まれ。三代前からのクリスチャンで、神父だった父の影響から幼少期より聖歌隊に入って音楽に親しんだ。東京工芸大学卒業後、東京藝術大学声楽科に再入学、後に作曲科編入という変わった足跡を歩んでおり、幼少期よりピアノの特別レッスンで鍛えられた同窓生への引け目から、早期にエリート主義からドロップアウト。「音楽でメシを食う手段として映画音楽家になった」と語っている。アシスタント時代に行動をともにしたのが山本直純。いち早く強烈なパーソナリティを発揮してテレビで活躍した山本だが、真鍋もまた、東京藝大在学中からジャズに傾倒した黛敏郎、西ドイツに偏重する音楽大学を嫌い慶応に進んだ冨田勲、武満徹ら反権威主義者と歩調を合わせ、映画、放送業界に新風を注ぎ込んだ一人でもあった。
大学卒業後は日活で映画音楽を書いていた仁木他喜雄の下で作曲法を学び、堀池清監督『愛情』(56年)で映画音楽デビュー。松竹、大映、東映などで働き、『狙撃』(68年)以降は東宝映画の常連に。青年期は指揮者として著名な吉澤博のアシスタントに付き、徹底して合理性を学んだ。編集済みのラッシュを観ながらオーケストラを録音する、いわゆるシンクロ録音の時代から、民間スタジオで曲を録り溜めしてモンタージュ的に音を構成する、今日の手法への移行期を体験。大島渚の東映作品『天草四郎時貞』で、小編成オーケストラによるレコーディングを草月会館で行ったのが最初で、こうした低予算作品における音楽設計で理論家ぶりを示した。
映画音楽の作曲法については、思春期に観たヨーロッパの低予算映画、とりわけフランスのヌーヴェル・ヴァーグ、ヴィスコンティ、フェリーニ、ロッセリーニなどのイタリア映画からインスピレーションを受けたと語り、早くから音楽のバンク手法、モンタージュ編集への順応性を見せた。キャラクターごとに印象的なメロディーを書き分けるメソッドは、浦山桐郎が撮ったテレビ版『飢餓海峡』や「横溝正史シリーズ」など、シリーズ作品で効果を発揮した。
「決して映画好きではなかった」と晩年語っているが、青年期に観たイタリア、フランス映画で触れた劇音楽が、眞鍋作品に及ぼした影響は大きいだろう。好きな映画音楽家として上げているのはニーノ・ロータ。予算の多寡に関わらずジャズ・コンボ編成での録音は好みのようで、「キャデラック」(『甘い生活』)あたりの奇妙なコードアレンジは眞鍋作品に通底する。イタリア芸術の楽天性を愛し、大学卒業後にイタリアへ渡り、アンジェロ・フランシスコ・ラヴァニーノの下で映画音楽を再学習。名前を上げているわけではないが、前衛音楽からエレキサウンドまで取り上げる幅広さは、エンニオ・モリコーネにも通じる。東宝「血を吸うシリーズ」、「横溝正史シリーズ」のホラー描写など、モリコーネの初期ジャッロ作品との共通項も。間を開けて復活した前者のシリーズ第3作『血を吸う薔薇』(74年)は、『エクソシスト』、『ヘルハウス』などの洋ホラー映画ブームに便乗した企画だろうが、ここでも『エクソシスト2』でエレキサウンドに挑戦したモリコーネと呼応する。実は新東宝での助手時代から中川信夫と仕事をしたかったと語るホラー好き。晩年に神代辰巳がリメイクした『地獄』(79年)への音楽参加で、念願を果たした。
ファンの多い『ゴジラ対ヘドラ』(71年)の敵役はアメーバのように変異する公害怪獣。当時の公害問題から着想したプロットだが、米水爆実験の批評として生まれたゴジラにとって原点回帰のような作品で、今日もっとも批評性の高い後期の一作として再評価される。ここで眞鍋は、ライオンロア(つり下げ式クィーカ)、マリンブラ(箱形カリンバ)など中南米の民族楽器を持ち込んで、科学の恐怖を原始的暴力性で表現して見せた。先にゴジラ作品に臨み、デューク・エリントンのビッグバンドジャズと沖縄音楽を異種交配させた佐藤勝に匹敵する、伊福部フォロワーとして強烈な個性を発揮。ここで活躍したのが、クレージーキャッツのSEや『ウルトラQ』のオープニングを手掛けた楽器発明家の渡辺順。眞鍋セッションの常連として、「横溝正史シリーズ」でも「ひゅるひゅる」というホッパー(サウンドホース)でスリラー効果を演出した。主題歌「返せ!太陽を」も、同時代の反逆音楽、エレクトリック・プルーンズ、13thフロア・エレベーターズに肉薄するサイケデリックロック調。演奏場面もピンク・フロイドで有名なリキッドスライドを持ち込むなど、ロジャー・コーマン映画のゴーゴー描写に比肩する本格的演出で唸らせた。演奏は麻里圭子のバックバンドだった横田年昭とリオアルマ。本格的なファズ、ワウワウサウンドは常連ギタリストの水谷公生か。シリーズ主題歌としてもっとも成功した1曲で、後年タランティーノ世代がこのゴジラのB作品をグラウンドムービーの文脈で発見し、2006年にリメイク盤も録音されている。
「横溝正史シリーズ」の復刻企画を持ちかけ、わずかだが晩年の眞鍋と交流を持たせてもらった筆者。過去作品に執着はないとそっけなく、スコアの半分は処分してしまったと語っていた。批評家としても健筆を振るったが、幼少期に感銘を受けた東方教会系の聖歌のエピソードが印象深いもの。いわゆる西洋古典派と異なる、スロヴァキア民族音楽的傾向を持ち、伊福部にとってのアイヌのように、眞鍋のルーツを形作っている。スラブ音楽との関連では、ポーランドのクリシュトフ・コメダ(『袋小路』、『水の中のナイフ』、『ローズマリーの赤ちゃん』)などの音楽性にも通じるものが。死後に膨大なアーカイヴがリリースされたコメダ同様、眞鍋作品の研究が進むのはこれから。消失したと言われる「横溝正史シリーズ」音源も、いつかリリースにこぎ着けることができれば本望である。
(映画芸術/2015/Vol.451)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?