徳島の話
こんにちは!!
甥っ子にえんとつ町のプペルの劇をやって欲しくてたまらないプペルおじさんです。
20歳から33歳まで13年間暮らした徳島の話を・・・。
香川県に実家のあるわいが何故徳島に行ったのか?
父方の祖母の存在です。
今改めて考えると何を贅沢なって話なんですが、祖母は控えめに言って掃除の天才で、わいが30分~1時間ぐらいかかる様な掃除を10分程度でチャチャッと済ませてしまう(まぁわいが余りにも掃除下手なのもあるかもしれませんが・・・。)
その天才的な掃除の腕前を勝手にわいの部屋で発揮するのが当時高校を卒業してプラプラしていたわいには嫌で嫌でたまらなかったんですよね(;^_^A
そこで一人暮らしをしようと思い立ちます。
選んだ先は徳島県徳島市。理由は香川県は大好きで弟も大好きだったので出来れば気軽に帰りたい。でも同じ香川県内だと当時めちゃくちゃ元気だったばあちゃんはタクシーででも来るかもしれない。それと『クラッチ』でも出てきたN君が徳島の大学に進学していた事でした。
人見知りのわいにとって初めましての人にもガンガン話しかけ話題をふってくれるN君の存在に当時のわいはめっちゃ救われてました。なんせN君と一緒に居れば目の前の初めましての人の好きな話題、好きな事を全部引き出してくれる。わいはその好きな話題について話していれば大丈夫。
事実徳島の友人のほとんどはN君きっかけで繋がりました。
徳島に出て選んだ就職先は小さい頃両親がボウリング好きで、よく家族で週末にボウリングに行っていたのもあり、老舗の小さなボウリング場でした。
今では考えられないかもしれませんが、25年前のボウリング場は禁煙でも無く、正月ともなると場内タバコの煙でモヤがかかり、正月だけのただただ灰皿掃除をする臨時バイトを雇うほどでした。
ここでは趣味としてボウリングを始め28~30ぐらいまで国体にも出ました(・∀・)b
まぁ出ただけですが(;^_^A
この後支配人と呼ばれる役職(ボウリング場で1番の責任者)になりますが、入社した時と親会社が変わっており、超ブラック企業でした笑
3年間で朝から夜まで休んだ事はほとんど無く、正社員の雇用権限も無いため、金庫の管理は全てわいがせねばならず、朝の釣り銭だし及び前日の売上の入金。夜は営業終了後の〆をする為、ひどい時は朝8時から深夜25時まで店に居る状態で、残業時間は200~300時間はざらでした(;^_^A
最終的にはその店は閉鎖となり香川県に帰ってくる事になりました(・∀・)
以上13年をギュッとしてみました(゚m゚*)プッ
結構苦労してるプペルおじさんが気になったらコチラ・・・。
https://www.facebook.com/Trygive-101781861328348/
16日には倉敷CandyにてTry give飲み会やりますので気になる方はぜひ(・∀・)b