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自分の写った写真、あるいはセルフィ―について
某お世話になっている語学講座主催の事務局さんが、できれば最近の顔が写った写真を送ってきてほしいという趣旨のことをおっしゃっているのですが、これのためだけに自分で撮るというのもどうなのかなという気持ちになるくらいにはあまり自分の写真が好きではないというのはあります。
しかし、たしかにこのリンク先の写真…変えたいというのはあるのですよね。
やや小さい写真でわかりにくいかもしれませんが、これはトルコにいた最後の時期に撮ってもらった写真です。
今見返すと、顔がパンパンに張ってるもんな…
ちなみに、人生で最大限クラスに太っている時期でもありました。トルコ生活の最終盤の時期でしたからね。しょうがないっすわな。
ここ最近はずいぶんダイエットにも成功しておりまして、顔の輪郭もトルコにいた時期に比べればだいぶ変わってきたのではないかと自負はしているのですが。それはそれとしても、やはり自分の顔を写真に撮る・撮ってもらうのは苦手なままです。
それでいうと、トルコにいた頃によく思っていたこととして、あちらの人たちは自分が写真に撮られたり、なんなら自分で撮ったりするのが本当に好きだよなあということがあります。なんせ、トルコ語学界隈で"selfie"という語をそのままトルコ語として使うことの是非が議論されてしまうくらいですからね。ある方々の主張では、「トルコ語なんだから、外来語ではなく固有語を用いて"özçekimi"(öz-çekim-i, 自身-撮影-限定語尾「自撮り」)というべきだ」ということだったようですが、いずれにしても当時みんな使っていたSNSでは、まあトルコの方々のselfie…いやözçekimi…まあどちらでもよいのですが、ご自分のお写真の多かったことです。
アンカラ滞在時期のある知り合い(なお、女性でした)は、ご自分のスマホの待ち受け画面をご自分のセルフィ―にしてありまして、あれを見たときはずいぶんカルチャーショックを受けたような気分になったのを覚えています。文化論とまではさすがにいかないのでしょうが、自撮りについての感覚が少なくともその方と自分とではずいぶん違うんだろうなと思ったことでした。自分の観測範囲では、と前置きしていうのですが、男女問わずあちらの方々はセルフィ―にためらいがないというべきか。うらやましいなと思う反面、自分はそういう面は彼らからまったく影響を受けなかったなとも思うのです。
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