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慣れと場数の問題っすわ

「人前で話すことが最初から得意な人」というのは、果たして存在するのだろうか、ということをふと考えたりします。少なくとも自分は小学校のころあたりからそういった機会に対して相当臆病であり、自分こそ不得意だと思っていた記憶があります。

そもそも人前に立つ機会じたいが幼少期、青年期とゼロではないにせよ、少なかったよなという気もします。高校のときなどは生徒会に入ったことなどもあったようななかったようなあいまいな記憶もありますが、それでも人前で話すことはもちろん、人の前に立つことはやはり機会として多くなかったはずです。

そのまま大学に進学しましたが、大学学部でも人前に立つ機会はさほど多くありませんでした(なんなら、もっと減っていたかもしれない)。

せいぜい一部の授業で模擬授業をしたり(たしか「国語科教育法」という科目だったような。授業自体は楽しかったですが、その模擬授業の出来は散々だったっすわ)、教育実習で2週間ほど洗礼を受けた程度。

ああ自分は人前に立ってなにかするのにはむいていないなと当時思ったようにも記憶しています。今思い返せば、そんな結論を出すにしてもこなした場数が圧倒的に足りなかったのですが。

そうしているうちに、大学院で学会なり研究会なりで人前で話す機会を重ねて、さらには短大や大学で教える仕事として教壇に立って…そういえば、大阪のとある短期大学(今はもう閉学してしまっているようです。知らなかった…)で非常勤デビューしたのですが、教壇に立った瞬間、足がガタガタ震えたものです。もちろん緊張で。

当時の受講生のみなさんにはずいぶんその意味で「鍛えて」もらいました。みんな今頃どうしてるんでしょう。専門のお仕事に従事している人たちも多いでしょうかどうでしょうか。今もし当時の学生さんたちに出くわすことがあったら、鍛えてもらったというまさにそのことへのお礼を言いたい気分ではあります。

閑話休題。

そうこう言っている間に、気が付いたらプレゼンだろうが発表だろうが授業だろうが、耐性がついたというべきか緊張感がなくなったというべきか。少なくとも今は、苦手どうこうということを考えることはすっかりなくなりました。

まあね…そもそも今はこれこそがメシのタネというか。仕事だものなあと割り切るしかないというか。そういうことっすわ。

要するに…人前で話すという行為の成否は多分に慣れの問題、場数の問題じゃないでしょうか、と言いたかった次第です。

経験がすべてとは言いませんし、悪い意味で緊張感がなくなりすぎてもいけないとも思いますが、いずれにしても「話す」という行為についていえば、場数と経験がものをいう部分って大きいんじゃないですかね。しらんけど。

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吉村 大樹
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