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杵柄は取っておきましょうね

どういうタイミングの巡りあわせなのか、アゼルバイジャン語の件が一段落したと思ったら、とあるところからウズベク語に関係する某お仕事の話をいただくという僥倖にさずかりました。

ウズベク語も触らなくなってずいぶん日が経つのですが、せっかくいただいた案件、引き受けない手はありますまい。この記事を書いている時点では、まだ具体的にどういう作業になるかというのもわからない段階ではあるのですが、とりあえず手元にはまだウズベク語関係の資料が残っていたということもあったので、不肖の身とは知りながら引き受けた次第でありました。

かつて大阪にいた頃、とあるプロジェクトでウズベク語に関係する仕事に携わったことがあります。先日のアゼルバイジャン語の教材作成とよく似たような形で、かつては教科書も作ったことがありましたっけねえ…

余談ですが、「音声資料がついてしかるべき」と評したレビュワー氏のご指摘はごもっとも、と共著者の一人として認めざるを得ません。一方で、研究プロジェクトで公刊するタイプのものは、それに付随する予算がついていないとなかなかそれが難しいという、なんというか大人の事情がありますのよね。で、そうこうしているうちにちゃんと東京外国語大学出版会からよき教科書が登場したという流れです。

ウズベク語についてはウズ-日辞書も公刊されていますから、この10年くらいでウズベク語も学びやすい言語になったなと思います。

一方、私自身にとってはといいますと。
トルコ語やアゼルバイジャン語もそうなのですが、どうしても掲載語数などの点から実際に仕事にとりかかるときはウズベク語-ウズベク語辞典や、ウズベク語-英語、あるいは英語-ウズベク語辞典が必要になってきます。

もうウズベク語はいいかなと思って、一切を手放してみようかなと思った時期がありました。実際、持っていた資料の一部(主に書籍ですね)はフリマサイトを通じてお譲りしたりしたものもあるのですが、テュル活民としてテュルク諸語の重要な一例たるウズベク語の辞書なり書籍なりを、まがりなりにも全部手放すというのはさすがに気が引けました。

今となってはそれが功を奏したというべきでしょう。またちょっとカンを取り戻す(というか、そこまで運用能力が鍛え上げられていたわけでもなかったのですが)というか、ああ昔ウズベク語の文法のことをやっていたとき、こういう言語なんだーと思った感覚を戻しながら、なんとかいただいた案件をこなしてみようかなと思う次第です。

ブハラの景色を見たのがずいぶん昔に感じられます。今のウズベキスタンはどうなっているのか、実際に経験してみたい気持ちはなきにしもあらず…(2008年1月撮影)

学習時間もトルコ語と比べるとあまりにも短く、「昔取った杵柄」と自称するにはさすがにはばかられる言語だということはあるのですが、まあそんな次第でしてテュルク諸語に触れられるということそれ自体の喜びをかみしめようと思う、連休前の夕方でありました。

どうぞみなさまも、よいゴールデンウィークを!
私は自宅にて、黙々と某論文の執筆に励む所存です。

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