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興味関心の変化の要因はそれぞれ

「テュルク友の会」メンバーのまそしゅさんが、先日こういう記事を書いています。

おそらくですが、自分の経験も含めて思うこととしては、言語にではなく地域としてのトルコに興味をもった人は、なかなか中央アジアやシベリアのテュルク(諸語)の方には関心が向かない、ということはあるのではないかな。
確信こそありませんが。それほどに、それぞれの地域はそれぞれ単独で面白い、ということでもあるかもしれません。

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かくいう私自身、長い間ずっとトルコ方面だけを見ていました。
院生時代もそうです。2004年にアンカラに留学していた時も。とにかくトルコ語、または地域としてのトルコ(ざっくりとアナトリア半島、あるいはイスタンブル含むいわゆる「ルム」)にしか関心が向きませんでした。

当時、留学生としてもアゼルバイジャンやウズベクからトルコには多数来ていたようですが、全く興味はもっていなかったと思います。

それがいつしかウズベク語に向かったのは、純粋に当時賜った仕事のしがらみです。ウズベク語の研究をするプロジェクトがあるが、お前は興味はあるかといわれた話があったところから、自分の視点が中央アジアに向いていったという経緯があります。

色々ありましたが、あれがある意味では今の自分にとっては転機だったということはあるかもしれません。ただ、自発的にトルコからテュルクに視点を移したとは決して言えないということは断言できます。

それが今から14年ほど前。
18歳からトルコ語を始めましたが、「トルコだけじゃない、テュルクもだ」などと言い出してから、私もまだそれほど日が経っていないといえます。

一時期に比べると、今はウズベク語からもだいぶ心理的・物理的に距離が離れました。(ですので、昔上梓したウズベク語の文法書について言及されると、ややこそばゆさと申し訳なさの混じった、説明しにくい感覚を覚えます。ここだけの話ですが)

度々言及している、昔のそのウズベク語の仕事の一つです。もう絶版なのでアレです。今はもっとよい教科書が出ていますから、みなさんはたとえば、下の島田先生の教科書(『大学のウズベク語』)のほうをご利用ください。

しかし、テュルク諸語内でトルコ語とウズベク語を見比べるという経験をしたことで、ようやく「では他のテュルク諸語はどうか」という関心が向くようになったということがあります。

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そのほか、言語学系の知り合いの研究者たちがいろいろなテュルク諸語に言及するのを見て影響を受けたという部分もあるでしょう。私の場合はテュルク諸語研究者の影響の他にも、日本語学・国語学のアプローチで方言研究をやっている人たちから受けた影響もきっとあると思います。

こう考えると、興味関心それ自体も自力で見つけるケースだけではなくて、他人の直接・間接の影響という要因は大きいだろうなと思うのです。なるほど、自発的でないスタートをしたウズベク語は、言語としての学習にせよ研究にせよ、長く続きませんでした。

が、この経験があったからこそアゼルバイジャン語に興味をもったし、また最近他のテュルク諸語に強い関心が持てているということは間違いないなと。結果が良ければ、途中の経緯はなんだってよいということかもしれませんね。

ですので、たとえばトルコ語専攻で大学を選んだ人がもしいたとしたら、我々の「他のテュルク諸語にも…」と言われると、ちょっと待ってくれ〜と思ってしまう可能性というのはきっとあるのだろうなと思います。

そもそも、言語そのものに対するアプローチも人それぞれなんですよね。冷静に考えたら。

だから、我々にできることは「テュル活にいそしむ我々を見よ」と言うことだけなんでしょう…。
世の中にはそういう人種もいるのだ、ということを見てもらうしかないんじゃないかなと。

そこから、同じ沼に入ってくる若い人たちがいればしてやったり。
入ってこなければ仕方ない。別の作戦を考えていくしかないのかな…

といったことを、キルギスのラジオを聴きながら、ニヤニヤして書く、トルコ語講座前のひとときでありました。

余談ですが、テュルク全体に興味を持つと、今日は何語を聴いてやろうかという人生の楽しみが一つ増えるという効能はありますわな。

さあさあそんなわけで。Yavaş yavaş ders için hazırlık yapacağım. 

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吉村 大樹
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