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トラブゾンの風景

トラブゾンは黒海沿岸、トルコ北東部分にある大都市です。ここにもかねがね一度行ってみたいと思っていたので、2015年9月に1泊してきました。

トルコでの日本語教育の仕事の1年目、犠牲祭の休暇を利用して黒海方面をふらふらする旅行をしたものです。ちょうど、当時の同僚の一人が黒海地方のサムスンという街に実家があったので、まずそちらに寄って、それからお別れして私は単独トラブゾンへ。

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市内にロシアバザールというのがあるらしいというので、それを見たかった(結局探しきれなかったというオチなのですが)のと、近郊にスュメラ僧院という修道院の跡地があるということで、それを見に行ってきました。

トラブゾンの風景

というわけで、トラブゾンの街を少々。

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バザールらしきところを歩いて回ったのですが、いうほどロシア的な要素もなかったなと。あるいは、ロシアンバザールそのものにたどり着いていなかったのかもなと思います。たぶんそうなんだろうな…

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我が名はとにかく遠景を撮りたがるおじさん…略しておじさんやで…

黒海はいいですよね。というか、海はいいものだ。当時アンカラに住んでいた身からすれば、もう海を見ることそれ自体が幸せだったように思います。

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海沿いの町なので、魚を売る店もたくさん見ました。と言いながら、トラブゾンでは魚は食べてないんですけど。

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サッカーチームも有名です。トラブゾンスポル(TrabzonSporなのでTSなのだと思いますね)は、トルコの4大ビッグクラブの一角(たしか)(サッカー全然詳しくないおじさんなので)

もうちょっとロシアとか、コーカサスの香りがするかなと期待して行ったのですが、自分が見れたのはきれいに舗装されたトルコの大都市の一つの風景という感じでした。

唯一、ミニバスに乗っていたら携帯電話で大きな声で話をしているおじさんがいて、彼が流暢なアゼルバイジャン語を話すので(私はもちろんほれぼれとして聞き入っていたわけですが)、同乗していた若い女の子たちはくすくす笑っていたのを覚えています。

あの笑い方は、明らかにちょっとばかにしている雰囲気だったな。

トルコの人たちからすると、アゼルバイジャン語は「親戚の言語」という感覚ではないのだろうなと思います。ちょっと語弊を招く言い方になりますが、「なまりの強い」方言に聞こえるのだろうなと。

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あとトラブゾンで覚えていることとしては、ピラフ専門の店というのがあって、夜中にどうしてもピラフが食べたくなったので、かけこんで貪り食べたことくらいですね。

よろしくない食生活は、思えばあの時期からすでに始まっていたのかも…

ということで、トラブゾンの写真はここまで。近郊のスュメラ僧院の写真も見ておきましょう。

スュメラ僧院

スュメラは地図でここ。トラブゾンのミニバスターミナルから出発します。途中、変なおねえさんに早朝からへんな声かけがあったり(察してください)などもありましたが、修道院に向かって一直線。バスで1時間かそれくらいで、自然公園の一角にある僧院へやってきました。

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アルトゥンデレ国立公園と書いてあります。「金の谷」か…

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バスから降りて、多少徒歩で歩く必要がありました。

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崖の途中に造られた僧院。しかしまあ、えらいところに作ったものです。なぜか、和歌山の高野山を少し思い出すなどしました。

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いろいろなパートに建物が分かれていて、図書館の跡とか倉庫とか、そのあたりの解説があったのを覚えています。当時の図書館を見てみたかったですよね…

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中に描かれていた壁画。昔の人たちはすごいです(小並感)。

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残念なことに、こういった壁画を肉眼で間近に見ると、観光客のいたずららしき引っ掻き傷がいたるところに見られました。

なんでそういうことするかね… ほんと、心ない人というのはいるものです。文化財、大事。

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うろおぼえですが、たしかこの写真が図書館として使われていたと思います。

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トルコという国、やはりキリスト教の遺産というのがいたるところに残っているんですよね。

現代はイスラームの国の一つとして認識されているわけですが、これまでにもいろいろな都市の記事で書いてきたように、様々な時代の遺跡が層になっている場所なのだなと改めて思います。



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