世界は救うかもしれないが、オレは救われない件
世の中、知らなかったことにしようとか、聞かなかったことにしようとか。あるいは見なかったことにしようと思うことってたくさんありますよね。今日はわたくし、そのうちの一つを経験しました。
いやね、来年度の某所でのシラバスを書こうとしたのですが行き詰まってしまいまして…仕方ないので、その気分をダジャレにしてしまってnoteに書いてお茶でも濁すか[1]と思って「シラバス ダジャレ」でググりましたら、なんやけったいな団体のホームページがヒットしまして…
世の中は広いというか、いろんなことを考えつく人がいるものであるなあと感心した次第です。
それにしても…人間関係を円滑にするかどうかはまあ別としまして、「世界を救う!」はちょっと風呂敷が大きすぎやせんかいなと心の底では思うんですけどね…。いやこれはやや真面目な話ですが、ダジャレ(およびその効果)って通言語的かどうかっていう話がありそうでしょ。(教えて同業者のみなさん!)[2]
普段からさんざん自分も(特にSNSでは)頻繁に使っておいてなんなんですけど、こんなふうに社会活動みたいな感じのノリでは自分はやれないな、と思う程度には、最近対面で人と接する機会が増えたんだなあとも思いますが。
自分にとってはですが、ダジャレってやはり面と向かって相手に披露するのはちょっと勇気いるなあと思うんですよね… 一方SNSはというとほら、物理的に相手との距離感があるじゃないですか。
だからこう、どう思いつきを書こうが相手から半笑い的なリアクションを受けようがノーダメージっていうかね…わかりまっしゃろ?てなわけでこういったnoteのような何書いても許される場所[3]で思いついたことをそのままダジャレとして披露するくらいが、あたくしの度量の限界ってことです…
って、金曜日の夜だっていうのに何をスカスカなことを書いているんでしょうか私は。もうちょっと専門的な話をしろよオレ。まあできないからこんなうだうだ書いている説もあるか。ああもうあかんな。オレはもうあかんわ。すべてがあかん。去年の対馬旅行で買っておいた焼酎かっくらって寝るか…コレがホントの、掌中の焼酎(文章はここで途絶えている)