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大阪外大トルコ語卒中年男性には東大言語(とか東京外大も)の芝生がただただ青く見える

東京大学の長屋先生はここ最近たいへん精力的に文章を書いていらっしゃって、毎回読まずにはいられません。そんな中、最近書かれていた記事では「東大言語」の紹介をされていて、

なんてうらやましい環境なんだと、大学学部を卒業して20年以上経った今だというのに、この記事を読んで思うなどします。言語学にうちこめる環境なんだろうなあと。

そういえば院生の頃だったかもう少しあとだったか、大阪から長崎に帰省で戻る途中に、当時九大におられた松浦さん(ほか数名)にお誘いをいただいて、九大言語にもお邪魔したことがありましたが、その雰囲気に圧倒されたものでした。

言語学科というか言語学研究室というか、とにかく自分が今まで外大系の学部や大学院で経験した環境とは違うんだなと。こういう人たちとわたりあっていかないといけないのだなと思って、当時相当おびえたというか愕然としたというかなんというか、そういう感情をもったものでした。

修士課程くらいまでは、よその大学の院生のことを意識したことはほとんどありませんでした。

しかし言語学会あたりで何回か発表をするようになってくると、プログラムの中にある名前とタイトルを見たり実際に発表を聞きに行ったりなどして、どの大学院にどんな同世代(もちろん上、下の世代もそうなのですが)の人がどんな言語をやっているのかという情報が入ってきます。

当時はトルコ語をやっている人がいたらやはり意識しましたし、テュルク系の文法をやっている同い年の人(サハ語とかね!)がいたらチキショー負けてたまるか、とか無謀なことを考えていましたし、この人何回も言語学会で面白い発表してるな、よくそんなネタがポンポン出てくるものだなと焦ったりしましたし、ある人はなんでこんなにトークがうまいんだ、オレにはこんなスキルは身につかない…と絶望したり。

だから、言語学会とか大学を超えた研究会とか、そういうところに行って初めて刺激をもらっていたように思います。

で。同じ外大でも、東京外大とかではそういう意味で、よその大学がすぐ近くにあるというか、身近に感じられるみたいなことはあるのかなあと思ったりなどするとやはりうらやましいなあと思ってしまうのですよね。

外大それ自体も、AA研という研究拠点があって、言語学系の研究者が多いですし、少し離れてはいるけどJR中央線に乗ってちょいと西に行けば、立川に国立国語研究所もあるわけでしょ。

そして少し東のほうに行けば、上記の長屋さんが紹介している東大言語と。いや~。都会と言うか都市部というか、やはり東京のアドバンテージというものはあるんじゃないかなと思います。

もちろん、どんな環境にあっても言語学はやれるのでしょうし、それぞれの場所でいろんな人がよりよい環境を構築しようと奮闘していることも存じ上げてはいますが。

一方で、もし自分がああいった言語学研究室というところで、周囲の学生たちと切磋琢磨というか競争というか、意識しながら勉強していたら、はたして大学院への進学を考えたかどうか、あるいはトルコ語という言語を選んだかどうか。まったく自信はないなあ…とも正直に思います。

まあみんな、がんばって…ということで。そういえば言語学会ですが、

プログラムA会場、テュルク諸語系の発表が4件ありますでしょう。そのうちの最初の3つの発表のセッションの司会を、なぜか不肖この私が務めるということになりまして…

なんというか、そんなお話も来るようになる程度には年齢的にミドルエイジになってしもうたのだなと、喜んでいいのかどうなのかというところではあるのですが。内容的にアレな発表があったら速攻でボッコボコにしてやんよ自分より若い世代のテュルク語学徒各位の、言語学会での健闘を心より応援したいなと思う、そんな平日の午前中であります。

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吉村 大樹
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