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フクシマからの報告 2021年春    家が消え小中学校が消えた      ふるさとが失われ思い出も消えていく  原発事故が破壊した大切なもの     故郷の記憶を守る23歳秋元さんの物語

 秋元菜々美さん(23)は福島県富岡町夜ノ森で生まれ育った。
 
 富岡町は、福島第一原発の立地する大熊町の南隣にある。秋元さんの家のあったJR「夜ノ森駅」前からクルマに乗ると、同原発の前まで15分ほどで着いてしまう。

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 東日本大震災が襲った2011年3月11日、秋元さんは13歳だった。中学1年が終わろうとする春休み前の一日だった。

 秋元さんの家は、富岡町は福島第一原発から南に8キロほど南にあった。両親と兄、姉の5人家族。ふだん原発の存在など意識することなく暮らしていた。

 地震で家の中は家具や家財が散乱し、足の踏み場もなくなった。片付ける間もなく、原発でメルトダウンが進行した。翌日3月12日、クルマに家族と乗って富岡町を脱出した。すぐに帰れるのだろうと思っていた。着替えや洗面具すら持たなかった。

 しかし、秋元さんが13年間過ごした家に帰ることは、ついになかった。福島第一原発から放射性物質が風に乗ってばらまかれ、自宅の周辺は高濃度の放射能汚染が降った。一帯は立入禁止の封鎖地区になった。震災から6年後に町の4分の3が強制避難を解かれても、原発に近い側の秋元さんの自宅周辺は「帰還困難区域」(汚染で立ち入りが禁止された地区)のまま現在にまで至っている。

(下3点。富岡町は、町の真ん中を立ち入り禁止区域の封鎖線がぶった切っている。2017年4月26日撮影)

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 家に戻れたのは、震災から3年後である。秋元さんは16歳になっていた(15歳以下は汚染地帯には入れない)。3年間人のいなかった家はタヌキやネズミのすみかになって荒れ果てていた。

 やがて、自宅は解体された。除染のため。住むことができないほど荒れてしまったため。理由は両方である。

 思い出の詰まった家がなくなった。ただ砂利の敷き詰められた更地になった。

 ガソリンスタンド、タバコ屋、ゲームセンター…。家の近くにあった建物も、次々に姿を消した。

 そして次は通っていた中学が解体されて消えた。小学校も消えた。

 自分の故郷が煙のように消えてしまったのである。

 建物や風景が失われると、その場所にまつわる自分の記憶も思い出せなくなることに気がついた。

 解体されていない場所も、高線量汚染のためにメタルフェンスの向こう側にある。いまなお立入禁止なのだ。

 2020年3月10日朝6時、JR常磐線の復旧に合わせて、夜ノ森駅に通じるアクセス道路だけが通行解除された(下の写真:2020年3月10日撮影)

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 自分の家があった場所の前までは行ける。しかし敷地には入れない。メタルフェンスが立ちふさがっている。

 まるで街全体が鉄格子に入れられたような風景が広がっている。

(↓秋元さんの家はこの道路の右側にあった。2021年1月26日撮影)

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下は同じ場所から撮影した2014年5月14日の姿。ガソリンスタンドなど、多くの建物が解体されて姿を消したことがわかる。

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 震災から10年が経って、13歳だった秋元さんは23歳になった。

 消えていくふるさとの風景。
 失われる思い出。

「記憶」とはなんだろう?「歴史」とはなんだろう?

そんなことを深く考えるようになった。

 福島県いわき市の高校に入って、演劇に出会った。

 それまで自分の中で膨らみきって苦しかった「何か」を、言葉や演技で人に伝えることを学んだ。

 いまふるさとの富岡町に就職して、自分の記憶を語るボランティアや「記憶」をテーマにした芸術家を町に招聘する活動をしている。

 秋元菜々美さんの話を聞きに、福島県富岡町に行った。

(冒頭の写真は、かつて自宅のあった場所に立つ秋元菜々美さん。今も道路以外はメタルフェンスでふさがれ、自宅跡の敷地には許可なく入れない。2021年4月18日、福島県富岡町夜ノ森で、烏賀陽撮影)


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