フクシマからの報告 2022年春 11年間封印された街に入った 3・11直後のまま腐ったコンビニ 鳥居が崩れたままの神社 かつて取材した避難者の家も消えた 福島第一原発から10キロ圏の現状
今年に入って、福島第一原発から10キロ圏内の封鎖があちこちで解除された。2011年3月11日の東日本大震災の当日のまま、住民が強制的に避難させられ、11年間無人になっていたエリアである。
激しい汚染のため、金属フェンスやゲートで一帯が囲われ、立ち入り禁止になった。一回5時間の「一時帰宅」の許可を行政から取らないと住民も入れなかった。
もちろん私のようなフリーランスの記者は立ち入りを許可されない(地元記者クラブに加盟している新聞テレビの記者は許可を得れば入れる)。ゲートやフェンスの内側の様子を知ることはできなかった。
こうしたエリアは、封鎖が解除されたとはいえ、今も住民が戻って住むことは許されていない。街は無人のままである。行政区域でいうと、福島県大熊町、双葉町、富岡町。同原発のある双葉・大熊町とその隣接自治体である。近いだけに、汚染がもっともひどかった。
原発事故で封鎖されたままの区域も、次第に範囲が狭まっている。封鎖を解かれた場所では、あっという間に街並みが消えていくのは本欄で何回か報告した通りだ。
11年封鎖されたままというのは、原発事故被害地でも長い方に入る。
11年間ぶりに、街に一般人が入れるようになった。私のようなフリーの記者も行ける。
11年間無人のまま息をひそめていた街は、どんな姿なのだろう。そこには2011年3月11日まで、地元の人々が平穏に暮らしていた街がそのままになっている。封鎖が解除されると、除染のために民家や商店が根こそぎ解体されて消えてしまう。消えてしまう前に、その姿を記録したいと思った。
そこには目を疑うような光景が広がっていた。商品がすべて崩れ落ち、そのまま腐ったコンビニエンスストア。つる草に埋もれたアパート。地震で崩れた神社の鳥居。吹き飛んだ石の灯籠…。
誰もいない廃墟が延々と続いていた。「人類滅亡後の世界」に迷い込んだような重苦しい気持ちになった。
行ってみたい場所があった。7年前の2015年2月、避難者の西原千賀子さん夫婦の一時帰宅に同行して訪ねたお宅だ。
ずっと封鎖されたまま、その後はゲートの内側に入る機会がなかった。解除されたすぐに行ってみようという願いが、やっとかなった。
しかし、そこにはまた、わが目を疑うしかない光景があった。家が消えていたのだ。私は雑草の茂る空き地に呆然と立ち尽くした。
(冒頭の写真は地震で棚の品物が崩れ落ちたまま11年が経ったコンビニエンスストア。2022年3月12日、福島県大熊町で)
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