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中井英夫『とらんぷ譚』ー1979年初版本と1980年初版本(補遺2)


はじめに

補遺1を執筆した2022年9月以降、中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社刊)の1979年初版本2冊を蒐集したので、ここに補遺2としてご披露したいと思います。

新蒐本1 回収本(齋藤愼爾宛献呈本 13部限定本?)

中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社、1979年) 齋藤愼爾宛献呈署名識語入り

一冊は、齋藤愼爾宛の献呈署名本で「1970年代の終りに」の識語が添えられています。

齋藤愼爾(1939年 - 2023年)は、俳人・文芸評論家・編集者です。一巻本のいわゆる第一次『中井英夫作品集』(三一書房、1969年)の編集を手掛けた際、音楽家の武満徹に装丁を依頼したことで中井と武満の二人を繋ぎました。また、深夜叢書社を設立した出版人で、『彼方より』(深夜叢書社、1971年)、『他人の夢』(深夜叢書社、1985年)の発行者としても知られています。

武満徹といえば、中井は17歳の武満のことを「襤褸(らんる)の天使」と呼んで「そのときにこそ会いたかった」と記しており(『音楽家の手帖・武満徹』1981年10月)、齋藤は中井のことを「流竄の天使」と記しています(中井『銃器店へ』(角川文庫、1975年)「中井英夫論」)。

『中井英夫作品集』(三一書房、1969年)、識語署名入り
函のデザインに使用されているのは武満徹の図形楽譜「一柳慧のためのブルー・オーロラ」
中井英夫『彼方より』(深夜叢書社、1971年)。
表紙クロスには少なくとも青緑、茶、臙脂の3色がある。
いずれも署名入り初版本で函を外した状態。
中井英夫『他人の夢』(深夜叢書社、1985年) 齋藤愼爾宛献呈署名識語入り初版本

さて、この1979年初版本は、奥付に定価表記があることから回収本と考えられます。更に、①齋藤が世田谷区羽根木の中井邸で開かれていた薔薇パーティの常連であったこと、②中井本人による手書きの正誤表のコピーが挟まれていること、③識語の内容から1979年の暮れに中井から齋藤に渡されたものと考えられることを総合して考えると、13部限定本の一冊と考えてよさそうです。

新蒐本2 試刷り本(相澤啓三宛献呈本)

中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社、1979年) 相澤啓三宛献呈署名入り

もう一冊は、相澤啓三宛献呈署名本です。

相澤啓三(1929年 - 2021年)は、詩人・歌人・文芸評論家で、朝日新聞社に勤務して朝日ジャーナル副編集長、美術図書編集長、アサヒカメラ編集長などを歴任しました。中井との交流は古く、1950年12月、大学生だった相澤は、田中貞夫の紹介で日本短歌社で短歌誌の編集をしていた中井と知り合いになり、中井と田中が共同生活を営んでいた西荻窪の下宿「青雲荘」に出入りするようになりました。相澤は青雲荘の中井の部屋で睡眠薬を多量に摂取して自殺未遂事件を起こし、病院に緊急搬送されたこともあったようです。相澤はこの出来事を『創元ライブラリ 中井英夫全集第1巻 虚無への供物』(東京創元社、1996年)の「解説」に記しています。一方、中井もこの出来事をもとに『香りの時間』(大和書房、1981年)のエッセイ「黄いろい涎」を物しているのですが、この件に対する二人の捉え方の温度差が興味深いところです。

『創元ライブラリ 中井英夫全集第1巻 虚無への供物』(東京創元社、1996年)
中井英夫『香りの時間』(大和書房、1981年)

相澤本人は否定していたようですが、相澤は『虚無への供物』の登場人物「藍ちゃん」こと氷沼藍司のモデルに擬せられたことでも知られています。ちなみに相澤は『虚無への供物』の犯人を「牟礼田の蒼司に対する”愛”である」とする私信を中井に送り(第一次『中井英夫作品集』(三一書房、1969年)付録『「虚無への供物」通信』「虚無への<書物>」)、所有する『虚無への供物』の扉に「封じこめた秘密をこともなくとり出し作者を絶望させ狂喜させた」の一文を、中井に追記してもらったといいます(『創元ライブラリ 中井英夫全集第1巻 虚無への供物』「解説」)。また、「ハネギウス一世」の命名者としても知られています。

第一次『中井英夫作品集』(三一書房、1969年)付録『「虚無への供物」通信』

中井の死後に刊行された相澤の歌集『風の仕事』(書肆山田、2003年)に収録されている「<黒鳥忌>かつて塔晶夫なりし人に寄せる哀歌」は、その内容から須永朝彦など周囲の人びとの内に漣を立てたようです。

相澤啓三『風の仕事』(書肆山田、2003年)

さて、この1979年初版本の奥付には定価の表示がないことから試刷り本と考えられます。書き込みなどがないことから中井が贈答用の「著者本」としてストックしておいたものの一冊ではないかと考えています。ただし、入手時点で函には帯が掛けられていました。試刷り本にも帯があったのか、後から追加されたものなのかは判りません。

おわりに

今回は、新しい知見の報告ではないことから、これまでと比べて物足りない内容になったのではないかと思います。新蒐本のお披露目が目的ということで、何卒ご海容ください。