SFプロトタイピング小説「北部回廊」1
1.𥝱
「あのとき、我々の先達がデータ・フリー・フロー・ウィズ・トラストをもっと正しく理解していたらな」
ジェイ国外務省の首席戦略書記官・長坂ジュマは、ある欧州の政治家のつぶやきを反芻していた。世紀末最後の年、アフリカの先進国家ワカンダに派遣された彼は、ジェイ国とワカンダ国が共同で実施予定の、ある実証実験のコーディネート役を担うとともに、その前提となる重要な外交交渉に臨もうとしていた。
「いまさら自分たちのご先祖さまに文句言ってもねぇ。自業自得とはこのことですよ。ねぇ、ジュマさん」
実証実験のデザイン・実施・リバースイノベーション業務を受注した開発コンサルタント企業アール・シー・ティー社のチームリーダー、下村ケトラは、ワカンダ財務・データ省との協議を前日に控え、首都カンパラのCLT高層ビル78階の一角にある、ジェイ国大使館を訪れていた。
「さすがワカンダのCLT高層、全く揺れないですね。これが木でできてるって、未だ信じられないですよ。隣のケニアじゃ、超長周期の微妙な揺れと酔いのせいで、カーボンナノチューブ・マンションよりもCLTマンションの人気が出てきたそうですが」
「あたりまえだ。ここのCLTに使われているワカンダの木は、【旧ジカ】仕込みの最高品質だからな。20年かけて、耐水性と耐久性を徹底的に追求したって、じいさんの弟子に昔よく聞かされた。岐阜や四国の林業関係者による、技術移転の結晶だ」
「J・トークンの行く末も、そうなればいいですね」
「ああ。この外交交渉が上手くいけば、間違いなくそうなる」
ワカンダ国はアフリカ東部の巨大湖、ビクトリア湖に臨む内陸国家である。1962年の独立当時はウガンダという国名だった。他のアフリカ諸国と同様に、2010年代に高度経済成長期に入り、2020年代前半のグローバル感染症を他のアフリカ諸国とともに最速で克服、リバースイノベーションと豊富な若年層人口を戦略的に活用し、“カエル飛び”をいち早く実現した。2035年の先進国入りを契機に、国名をウガンダから“ワカンダ”に変更している。
ワカンダの首都カンパラは、二度の雨季を終え、ちょうど乾季に入った。街にはまだ緑が色濃く残り、量子超越シティとして名高いカンパラ・メガロポリスの偉容が一望できる。“ローマの七丘”ならぬ“カンパラの七丘”と、それぞれの丘を取り囲むようにポツリと建つ数棟の超高層CLTビル、さらに七丘の周りを縁取る緑のじゅうたんとビル影のコントラストが殊更に美しい。空気が澄んだ今日のような日は、遠方にビクトリア湖の群青の湖面が鮮やかに拡がる。窓のすぐ外では、プテラノドンのような巨大なハゲコウが、71階から伸びたジャカランダの木のてっぺんで巣作りに励んでいた。
透過窓からさわやかな風が入ってきた。とても心地よい。故郷・軽井沢を思わせる、この変わらぬ気候が、ジュマの心を落ち着かせた。