山岳探訪記#3 忌み畏れられる山、鳥海山
作成日:2023/3/13
私が初めて登った山は鳥海山。その時の私は若く、そして山を甘く見ており、かなりの軽装備で標高2236mの山に挑んだ。地図は持っていない。頼りになるのは標識のみで、山道をグングンと進んでいった。山岳信仰の霊山として知られる鳥海山は、古来から噴火が記録されており、火を噴く荒ぶる神、「大物忌神」が宿る山と崇められている。
冷たい空気がとても気持ちいい。アドレナリンが身体中に巡っていると思うくらいハイになっていた。山頂も目前、時刻は15時。通り過ぎる登山客のほとんどは山小屋で一泊する人たちだった。日が落ちたら暗くて帰れなくなる。危険なので登頂を諦め、颯爽と山を降りた。初めての登山を終え、元恋人にその話をしたらしこたま怒られた。私が登った登山道は象潟ルート、鉾立展望台から象潟の景色を一望できる。
松尾芭蕉が訪れた景勝地とされる象潟。芭蕉が象潟の地を訪れたのは1689年6月16日。しかし芭蕉が見た景色はかつての象潟の姿。湖の上に小さな島々がある景色だった。かつて象潟周辺はほとんどが海だった。2600年前に起こった鳥海山の噴火により山頂付近が崩壊し、日本海に大量の岩がなだれこむ。それにより象潟は浅い海と小さな島のある土地となった。その後何度か噴火は繰り返され、西暦1800年、ついに鳥海山で激しい噴火が起こる。噴火が長く続く中、災害は重なる。1804年に鳥海山にて地震が起こった。それが所以で土地が隆起し、現在の象潟の地となっている。かつて松尾芭蕉が見ていたオアシスは噴火により消え去った。どうも神はかなりお怒りだったようだ。いったい、わたしたちが何をしたというのだろう。
2度目の登山は完璧な装備で向かった。外輪山ではキンと刺さる空気に感動した。モヤがかり、枯れ草が揺れ、その景色の中で青葉市子の曲を聴いて泣いたのを覚えている。現在の鳥海山は噴火が落ち着いており、警戒レベル1(活火山であることは留意)となっている。春先に行くと水田が広がるため、かつての象潟にあったオアシスを想起することができる。
現在、象潟市を含む秋田県は少子高齢化が日本の中でもダントツ1位で進んでいる。将来推計によると20年後には秋田県の人口は推定70万人、なおかつ65歳以上は人口の50%を占めることになるという。山の神はこのような未来を予想していただろうか。2021年の秋田県における転出超過の調査によると、女性の転出は1803人、男性は1092人。女性の方が多く都心部に転入しているのが見受けられる。過ごしやすい街とはなんだろうか。あるいは、過ごしやすい暮らしとはなんだろう。かつてのオアシスと重ね合わせながら、象潟の景色を前にして自分が今一番忌み畏れていることを考える。いつまでここに居続けることができるだろうか。
鳥海山は私の魂の中にある山だ。とても美しい山なので、みんな登ってほしいと思っている。