令和歌謡論② 歌謡曲の条件
前回の記事(https://note.com/ufreez76/n/n27726736faed?sub_rt=share_pw)で、「令和歌謡」というワードを使って乃紫さんを紹介したんだけど、そもそも「歌謡曲」って僕らの中でどういうものを指すのでしょうか。
令和歌謡という言葉について、そして昭和歌謡から平成J-POPを経た令和の音楽に至る流れについては、スージー鈴木さんの論が非常によく分かりますので、是非読んでみてください。
「米津玄師にAdo、YOASOBIも?新たなムーブメント『令和歌謡』をスージー鈴木が解説」
https://brutus.jp/reiwakayou_suzie_suzuki1/
この論を参考に令和歌謡について思うこと。昭和→平成→令和と人々が受容する音楽が変わってきた変遷が、時代背景やメディアの変化が根拠にある。僕はあくまで音楽は作り手(アーティスト)→聴き手(リスナー)という方向性だと考えている。ただ、聴き手の需要は変わるから、それに合わせてとは言わなくても発信のやり方とか、受け入れられるものを創ることをアーティストの方々は日々試行錯誤しているんでしょう。
きっかけとしてSNS等のメディアを念頭に置くことは間違いない。なんせ僕らは勝手に音楽が入ってくる令和に生きてるんだから。でも、本当の目的はその先にあるものだろうなって。印象に残るフレーズはたくさんあるけど、「へー、良い曲じゃん」って後から聴きなおす曲はそんなに多くない。サビしか知らない曲が増えていること自体を悪いとは思わない。でも、想像するに、アーティストの方々は「曲」としての創り出したものを届けたいんでしょう。それを令和の今実現するのが「令和歌謡」ではないかと思うのです。
歌謡曲の定義については色々な考え方があります。もともとは流行歌を指していたので、皆に口ずさまれるようなフレーズで、多くの年代の人に受け入れられて、普遍的なテーマなどを持っていることが条件だと思う。
昭和歌謡から平成J-POP、そして令和歌謡への流れについて。
昭和歌謡は本当に幅広い範囲を指します。正統派演歌の流れもアイドルもテクノ(今でいうシティポップみたいな、ピコピコ系の打ち込み)も唱歌のような曲も、これらが色々に絡み合って混在している。そして、ジャンルに捉われずそれぞれの音を奏でて好きなテーマを提示して皆で盛り上がっていければいいじゃんっていう方向性があったと思う。だから「流行歌」であって、「年齢問わず知らない人がいない曲」っていうものが確かに存在した時代。その根拠は基本的にテレビだった。
僕の中で思い浮かぶ「歌謡曲」の代表的なものは、尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、加藤和彦さんの「あの素晴らしい愛をもう一度」、堺正章さんの「さらば恋人」、南沙織さん(森高千里さんのカヴァーも)「17才」、太田裕美さん「木綿のハンカチーフ」など。
違う曲なんだけど、どこか懐かしくなる。これが「ノスタルジー」であり昭和歌謡の力なのだと思います。そこにあるのは、僕らが感じる懐かしさ、原体験のようなもの。歌詞、音、テーマなど幾つかの要素があるので、それは次回で整理します。
やがて昭和が終わり、バブルがはじけて平成になって生まれたJ-POPという名称は、歌謡曲とは異なる二つの方向性を持っていた。
一つは、「大きな物語」。長い曲と盛り上がるサビ、僕らを鼓舞して支える歌詞。綻びが見えてきた社会に対して、明るく元気に僕たちみんなで楽しんで乗り切っていこう(たとえカラ元気でも)という意志みたいな。昭和が吸収と挑戦の中で様々なことを試みた発展に至る道であるならば、平成は完成と限界、そして綻びを知った上での現実を生き抜く道だった。今になって思うと、J-POPは僕ら皆の応援歌のようでした。僕は平成に生まれてこれら曲を聴いて元気づけられて生きてきた。
ここで一点確認すると、僕はロックと歌謡曲は違うと思っています。言語化してと言われると定義は難しいけど、具体的にアーティストを言われるとなんとなく自分の中で判断できる。めっちゃ簡単に言うと、バンドでの生演奏を基本とするアーティストはロックであり、打ち込みを基本として曲のプロデュースをするアーティストは歌謡曲になりうるのかなと。
もう一つは、「洋楽の影響」。昭和歌謡に関しても、もちろん洋楽の影響はあったと思います。しかし、あくまで印象ですが昭和での洋楽は歌謡曲と別に確立されたジャンルであった。かっこいい、僕たちには無いものとして憧れを抱くような。英語の歌詞にもそう。それが取り入れられて一般化して発展してきたのがJ-POPに見える気がしています。受け入れると共に、僕らの音楽にもこういう方向性があったことを示して成熟させていったのが平成。
そして今。令和の時代になって、J-POPとは異なるどこか懐かしい音楽を耳にするようになった。それが「令和歌謡」であって、そのアイコンになりうるのが乃紫さんだと思いました。次はその理由について、具体的な曲、歌詞を交えながら述べていきます。