若者のすべて

 生きていると、デジャヴに似た体験をすることがある。一度も出会ったことがないのに、何度か繰り返されるような不思議な感覚に捉われる。そうだ、懐かしい友達に久しぶりに会ったような。

 そして一度出会ったモノ/コトにまたいつの日か出会って、その度に懐かしい気持ちになるのと同時に、新しい発見がある。頻繁じゃないけど、ある時急に僕の目の前に現れてはいつの間にか消えていき、また現れる幾つかの事柄。

 フジファブリックを知ったとき、僕はたしか大学1年生だった。田舎から上京して一人暮らしを始めて、自分の世界が拡がっていくことを確かに感じていた頃。どちらかと言うとパンクロックが好きだった僕にハマったわけではなく、「面白い名前のバンドだな」って思ったくらいだったと思う。それでも忘れなかったのが何故かは、未だに分からない。

 とにかく東京という都会のおかしな魅力を、肌で感じていた。テレビでしか見ることが敵わなかった世界が、自分の手に触れられる距離にある。駅のホームに立つと、電車は5分おきに来て乗れば5分以内に止まるし、日付が変わっても余裕で走っている。

 新宿スタジオアルタ、渋谷センター街、池袋西口公園。お洒落で雑多でごちゃごちゃとした街並みに、そびえ立つ高層ビル群。うん、確かに世界は拡がった。

 東京の街並みは、どこまでも途絶えることなく続いていた。栄えていないところを探す方が大変で、人がいないということがない。知らなかった世界を知った18歳の若者にとって、東京は本当にいい街だった。時々期待を裏切られることもあったけど、それでもよかった。次に期待するものが、すぐそこにいつもあったから。

 そんな僕にとって、「若者のすべて」はタイトルも歌詞もどこかカッコつけてるものだったと思う。「すべて」なんて考えずに、ただ毎日ワクワクしていたかった。「すべて」なんて言えるほど、何も知らないから、全力で知ろうとしていた。

 2度目に出会ったとき、もう志村さんは亡くなっていた。

 時間が経って徐々にサブカル方向に興味を持った僕は、吉祥寺や下北沢、高円寺を好み、ヴィレッジバンガードに入り浸るようになっていた。派手なPOPとお香と古着が混じったような独特の匂い。そこにしかないように思われるモノたち。別に安いわけじゃないけど、特別に感じた。興味が半分、そこにいる自分が他の人と違うように感じていた半分。思えばおかしな話。だってそこには、僕と同じような人がいっぱいいたから。でもそれが分かってても好きだった。

 アングラと言えないまでも、そこで知ったことは今の僕に繋がってもいる。三島由紀夫、不思議の国/鏡の国のアリス、ルイス・キャロル、シュヴァンクマイエル、MOSH  PIT ON  DISNEY、奇子、火の鳥、RATFINK、ナイトメア・ビフォア・クリスマス。好みは形成されるもので、自分が好きなものがたくさんできた。

  彼女と「SUMMER NUDE」の第2話を見ていたら、どこかで聴いたことのある曲が流れてきた。どこで聴いたのか、いつ聴いたのか。物覚えのよい僕にしては珍しく思い出せなかった。そして、ドラマが終わった後にもう一度聴きなおして、今まで気にならずにいたことが急に気になりだした。

 真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

 それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

 夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて

 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

 「若者のすべて」ってなんだろう。歌詞の中に一度も登場しないままに、終わってしまう唄につけられたタイトルに、どのような意味があるのか。晩夏の結末を誰も知り得ることはない。

 でも、わかる気がしていた。落ち着かない暑さと、無性に切なくなる夕暮れ。何とも言えない歯がゆいような寂しいような感じ。「運命」なんていう大袈裟なものでごまかそうとする。この言葉を使うのにこれほどふさわしい場面もないんじゃないか。

 確かにそうなんだ。今まで言語化していなかっただけで、多分僕は毎年のようにこんな気持ちになっていた。微かでも確かな傷を残したまま、山下智久さんと戸田恵梨香さん、そして夏の終わりと一緒に「若者のすべて」はまた消えていった。

 3度目に出会ったのも夏。僕は偶然、志村さんの故郷である山梨県富士吉田市にいて、そこで多くの人と過ごした。性格が合う人も、嫌な人も、一言多い人も、男も女も。本当に色んな人がいた。毎日は8月の暑さと一緒に緩くダラダラと過ぎていった。

 ある夜にふと志村さんを思い出した。横には彼女が寝ているから、なるべく静かに。音楽が好きな人はわかると思うけど、何の前触れもなくあるアーティストや曲が頭に浮かんでくることがある。心の琴線にどこかで触れているのかしれないけど、そんなことは死ぬまでわからない。ただ、何かが自分の心に傷をつけていることだけは確かだと思う。

 外に出て、夏の夜の空気を吸って匂いを嗅ぐ。虫が鳴いている。河口湖はすぐそこだ。

 500mlのレモンサワーを片手に、志村さんの生まれ育った地で、夏の終わりに、「若者のすべて」を聴く。志村さんがそこにいるような気がして、一瞬混乱する。何度も何度もリピートして、難しくない歌詞を聴いて、部屋に帰って、まだ眠っている彼女を起こさないように眠りについた。

 幾度となく、夏がやってくる。始まりは梅雨明けから、茹だるような夏。夏が始まると、海に行って山に行ってBBQして、好きな娘を誘って、ビアガーデンで乾杯する。

 でも、お盆を過ぎると、だんだん寂しくなってくる。「若者のすべて」は、限られた時間の僕らの夏をいつでも彩ってきた。

 若者にとってのすべてってなんだろうか。恋人か、学校か。はたまた、家族か友人か。決して分からないからこそ、「若者のすべて」が愛される。その夏に出会った人たちとの思いを乗せて。

 彼女と別れて、一人で聴いていたたまれなくなった。志村さんは、もうここにはいない。僕らの夏は一度きりで、二度と帰ってこない。でもデジャヴのように繰り返される曲。生きていく僕ら。

 相変わらず時間は過ぎて僕は大人になった。でも若者のままでいる。いや、いたいのかもしれない。

 最後の花火に 今年もなったな 何年経っても 思い出してしまうな

 ないかな ないよな  きっとね いないよな

 会ったら言えるかな  まぶた閉じて浮かべているよ

 

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