ワールドワールドワールド
note書くときは書き分けてます。主観と客観。思ったことと整理。今日は主観。
頭に残る言葉って誰にでもあるよね。僕の頭に残るのは、井伏鱒二さんの「花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」。意味は分からずとも、カッコいいなと思っていた頃と大学院で文学として捉えた頃。
大学院での発表で、今となっては参考文献にもならないケツメイシと木村カエラ(animo)の歌詞を繋げた。主観だけだったな。ただの自分の思いってさ、でも嫌いじゃない。同じように誰かが書き殴った様な文が好きなんだ。
この時好きだったのは、何か無常なとこ。
アジカンが創ったこの言葉は、ただのリフレインとしてで無く、僕にとってなんか大きな意味を持つ言葉になった。
ワールドワールドワールド。アジカンが文学ロックと言われていた頃に学生だった僕は、密かに「駄目ナリ!」を見て、杏さゆりちゃんが好きになった。そこでヘンテコな曲に出会って、PV(今はMVですよね)を観て、おかしな道化が小躍りするのを観た。「壊せそうさ」は「壊せ、そうさ!!」なのか、「壊せそう」なのか。意味があるようなないような言葉の羅列は、村上春樹さんの小説のように、隠喩が飛び交う、抽象的な世界。そしてタイトル。「サーフブンガクカマクラ」?まるで短編小説みたいだった。
アジカンの世界は、僕たちに寄り添うものではない。と思う。違う世界の話とまではいかないけど、彼らの世界である。そこに惹かれている。アーティストにはざっくり2種類の人がいると思ってて、僕らに寄り添う人と僕らを巻き込む人。使い分けている人もいて、wacciの「別の人の彼女になったよ」とかは、僕らがその曲に寄り添えるものであると感じる。絵音さんはどちらも描ける人かな。インディゴの時は寄り添って、ゲスの時は巻き込む感じ。
どっちも好きなんだけど、アジカンは後者。意図せずだけど、巻き込まれている世界が途方もなく好きです。
ワールドワールドワールドと今の世界を重ねてしまう。奇しくもアルバムの曲も。世界は変わり続ける。誰がこんな世界を創造したか。でも、新しい世界で生きていかなきゃいけないんだよ僕らは。
そんなことを考えさせる。希望は誰もが持っているけど、現実はそうもいかないな。最近は悔しいことしかない。でも続いていく世界。それだけ?そうじゃないでしょう。何かしら頑張る。僕は僕の人生を後悔せずに生きる。後悔ばっかりだけど、後悔しないようになんかやってみて成功して笑って、失敗して泣いて。そんな世界が好きだよ。
ワールドワールドワールド。変わり続ける世界と僕らのものがたり。