忘れてはいけない日

 忘れてはいけない日があります。3月11日、東日本大震災が起きた日です。

 2011年3月11日、私は大学3年生でした。テストも終わり、4年生も引退し、卒業式を控えた春休み。午前中は部活の練習。その後、みんなで昼食を取りつつミーティングを行っていた最中でした。

 「あ、地震だな」って感じたすぐ後に、激しい揺れで食器や備品が部室のロッカーから落ちてきました。これは普通の地震じゃないと感じ、急いで部員全員でグラウンドに避難しました。

 安全を確認した後にとりあえず解散し、家に戻ってテレビを付けると津波と原発のニュースが流れていました。とても同じ日本で起きていることとは信じられませんでした。不安になって近くに住む友達と合流して、一夜を過ごしました。

 次の日から、少しずつですが地震による被害の全容が明らかになってきました。その凄まじさに何も言えませんでした。言葉が出なかった。東北出身の友達は、乗り合わせた車で地元に帰っていきました。情報は錯綜し、何が本当か分からなくなってきました。バイト先のコンビニには、商品が入ってこなくなりました。食糧を大量に買う人が増えました。大学の活動は全て休止し、先輩たちの卒業式は縮小されました。

 実家にいる親兄弟からは、危ないからとりあえず帰ってくるようにと連絡が来ました。メルトダウンが起こるらしい、東電に勤めている知り合いは実家に帰っている。だから帰ってきてと。実際に地元に帰る友達もいました。僕は帰りませんでした。理由は今考えても明確には分かりません。

 少しして、計画停電が実施されました。夕方の時間、電気が使えなくなりました。陽が落ちて暗くなる中、ろうそくを使い、パンを齧りました。

 とにかく、状況を理解できなくて、正しいことが何なのか、何をすればいいのか分からない。生まれてからこんな経験は一度もありませんでした。自分の判断が正しいのかどうか、本当に分からない。間違っていた場合、詩に直結する可能性もある。

 地元に帰ろうとする東北の友達を止めるべきか。もしまた強い地震が起こったら。自分は地元に帰るべきか。もしメルトダウンが起こったら。

 考えるときりがありませんでした。毎日、「どうしたらいいのか」って考える日々が続きました。

 僕が生まれたのは1989年。それから3.11までにいくつかの大きな事件がありました。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。ニュースを見た覚えは朧げにありますが、幼くてあまり記憶がありません。

 9.11のアメリカ同時多発テロの時は小学校5年生でした。大変な事件でしたが、テレビで見る光景はどこか現実感がありませんでした。テレビの全てのチャンネルで同じ映像が流れていて、大変なことが起きたと思いましたが、それが自分に降りかかることとは思えなかった。

 世界の中で大変なことが起きても、自分の身には何も起こらない。そうやって過ごしてきた21年間でしたが、その考えが覆されたのが3.11でした。

 日常は、決して僕たちがずっと続くと考えている日常ではない。どこに住んでいる誰にでも何かが起こる可能性はある。その事を身を以て感じたのが、東日本大震災でした。

 死ぬまで終わらないと思っていた日常が変わった。世界と自分は別で、どこかで自分に影響を与えることは無いと思っていた。けどそれは間違いなんだと気付いた。同時に、自分の何倍も、何百倍も苦しい思いをしている人がいることを改めて知った。知ったんです。アメフト部の後輩の高校の同級生は、車に乗って逃げる途中で、津波に飲まれた。遺体は今でも見つかっていない。

 1年後、卒業間近に友達と福島に行った。映像ではなく、自分の目で確かめたかったから。夜行バスに乗って、朝ついて海岸を目指した。海沿いをあるいた。壊れたままの家、砂に埋まった車、打ち上げられた漁船、黙々と作業するショベルカー。何も言えんかった。自分は無力だと知った。それでも人間は生きていかないといけない。

 生きていく限り、否応なく僕たちに降りかかってくる可能性がある。その事を知って、どう生きていくか。できることは何か。それはやらないといけないことか。やるべきことは何か。

 この日をきっかけに、根拠もないことを信じて考えることなく生きていくことはやめた。少なくとも自分はやっていこう。何か出来ることを。

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