僕らの自由を
民生さんは高らかに歌っていた。90年代から00年代そして10年代まで、僕らの自由を。時計を捨ててイージーなライダーから最後はイージューなライダーへ。そうやってどんどん世界は拡がって、どこまで行くのか分からないくらいだった。
子供の頃はゲームボーイでポケモンやってた。今では、インターネットもSNSが普及した。会わなくても、家に帰っても、離れた人とも友達とも一緒にゲームが出来るしラインも出来る。CDを買わなくても、なんなら持ち運ばずに聴きたい曲が聴けて見たい映画を見られるんだって。誰が信じてただろう。
でも変わっちゃったね。どこ行ったんだろう。いや、どこにも行っていない。変えたのは何なのか、誰なのかよくわからないけど、誰も想定してなかった世界。2年前の僕だったら笑い飛ばしてるでしょう。皆がマスクしないといけない?何だよそれ。緊急事態宣言?どこの国の話?って言いながら酒飲んでたんだろうな。
「在り方」に対して何の疑問もなく、ただ拡がっていく自由を謳歌していた。特にこの日本で生きていくことに不満なんてなかった。海外の生活を知っているわけじゃないから単純に比較は出来ない。けど、一定の保障が合って、安全で、がんばった人は報われる可能性がある国。
デモや紛争が起こることもない。テレビで見た9.11はテレビの中の出来事だった。同時に、日本で良かったなって思った。東日本大震災の時は身近に感じて、何か自分に出来ることは無いかって考えた。
今はどうだろう。世界は思ったほど自由ではなかった。どうにもできないままにただ不安な中で自分の判断に任せられる毎日が急にやってきた。誰も信じたくなかったんだろうな。僕もそうです。危機なんて来ない。そう信じていた。
楽しみだったオリンピック。色んな報道。安全を守る?今は誰も守ってくれない。こんな責任を負いたくないんだみんな。
もっと考えないと。どうなるか分からないけど、僕らの自由を守りたい。世界は変わっても僕らが生きていくことには変わりない。
終わらない日常を自分たちの責任の下で、誰かと助け合いながら、自分を大切に。