「ブータン 山の教室」から見る「豊かさ」とは?

「ブータン 山の教室」を観て、豊かな生活って何かと考えた。物語の舞台はかつて世界一幸福な国と言われたブータン。街で育ち、夢を持ちながらも好きではないが安定した仕事(教員)に就き、悶々とした生活を送ってきた主人公が、異動によって辺境の村で先生をすることになるというのが大まかなストーリーだ。

 とても良い映画なので皆に観てほしいんだけど、これを観て僕が考えたのは「豊かさ」について。辺境の村はとてつもなく不便で、設備も整っていない。不自由だ。今の僕の生活(日本)からしたら、1日も耐えられないかもしれない。水道もガスも電気も当たり前のようにある。食べるのに困ることもない。有形無形のモノに溢れていて、外でショッピングすることも家の中で映画を観ることもできる。不自由なことは基本的には無い。

 でも、僕たちは本当に「豊かな生活」を送っているんだろうか。映画の中のブータンの村で暮らす人たちはとても笑顔で幸せそうだった。現地で撮影し、現地の人たちも実際に出演しているんだけど、あのままの生活を送っているんだなと感じた。僕たちから見たらめちゃくちゃ不便、でも何で幸せそうなのか。その生活(人生・生き方)の「豊かさ」は何から来るのか。

 その答えが見つからない。「シンプルだけど尊い暮らし」が良いものなのか。ヒントにはなるけど、当たり前のように先進的に暮らしてきた僕たちにはもう戻れない。郷愁のような、懐かしさのような、忘れていけない何か。それはもちろんある。しかし、もうその生活に戻れないからこそ、何が大事なのかって考える。

 豊かさの条件は、生活水準?周りの人々?お金?それとも余計な情報に溢れていない決められた伝統的なもの?近年ブータンの幸福度は下がった。それは近代化が一因だという。近代化は良いことではないのか?便利な暮らしになると幸福度が下がる。これはなぜなのか。人間の欲には制限が無かったり、誰かと比べてより良いものを求める。比べられることを知った時に下がっていくのかもしれない。じゃあ何も知らないままに、不便なままで暮らしていくのは取り残されていくことではないのか。

 自分にとっての「豊かさ」。これを考えていくことしかないのかな。考えないでいることは僕は幸せではないと思った。

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