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車輪の唄

 自転車の速度は増していく。2人分くらい高校生の僕にとってはどうってことなかった。

 「にけつ」は、僕らにとっては恋人同士だけが出来るステータスみたいなもの。教室では、「この前にけつしてさー」っていうワードが飛び交っていた。地方の都市だとカップルが遊ぶところも限られる。帰り道が同じ人も多いから、「にけつ」することで、付き合ってるんだぞっていうアピールにもなった。

 部活の帰り道、くたくたになって帰る僕を尻目に軟派なクラスメイトが、にけつして帰っていくのを何回も見かけた。こっちが冷やかしても関係なくて、幸せそうに自転車を漕いで僕らを追い越していく姿をただ羨ましそうに眺めているだけだった。楽しそうだけど、自分とは違う世界。同じ高校生でも、どこか違うんだ。クラスにいるときは仲良くしている奴はたくさんいる。けど、見ているものが違うのかな。

 もちろんそうだ。一人ひとり優先することが違うんだから。高校生だけど、そのことは朧げに分かってた。でも、彼ら/彼女らの話を聞くだけで楽しかったし、高校生はそんなもんだろって。良くも悪くも違いを知って、3年間を過ごす。それだけで財産なんだ。色んな人がいるっていうのはとても新鮮なこと。小学校と中学校とは違う感じ。

 クラス替えもある中で、3年間クラスが一緒の女の子がいた。彼女は陸上部で、毎日部活に取り組んでいた。運動部特有の快活で明るい女の子。男子とも仲良くて、屈託なくて、いつも笑っている。どこかで惹かれていたことは否めない。けど、なんとなく仲良くて、気の置けないクラスメートっていう立ち位置は良くも悪くも居心地が良かった。彼女は水泳部の彼氏がいたり、分かれたり、僕も他校の子と付き合ったり。

 共通点は、BUMP OF CHICKEN。あの頃の僕らは、みんなバンプを聴いていた。嬉しいときも、悲しいときもバンプ。部活で勝ったとき、負けたとき。皆も、僕も彼女もバンプも聴いていた。

 「ねえねえ、藤くんって、何考えてるんだろうね?」

 「さあ、分かんない。分かんないけど、なんでこんなにいい唄作れるんだろうね」

 「そもそも、いい唄ってなんだろうね?」

 「わかんないよ。でも、バンプがいいってことだけは間違いない」

 「そうだよね。じゃあユグドラシルで何が好きなの?」

 2004年に発売されたBUMP OF CHICKENのアルバム「ユグドラシル」。北欧神話に準えたタイトル。物語のような構成は僕らの話題になった。僕は「車輪の唄」が好きだった。バンプにしては珍しいカントリー調。曲そのものが物語になっている唄なんて初めて聴いたから。

 時々、この唄について話した。「にけつ」で走っていくのは、僕らにとっては付き合うってこと。じゃあこれは別れの唄なの?って。いやそうじゃないよ。始まりの唄ってこともあるんじゃないか。でも何が始まるんだよって考えて、2人ともよくわからなくなってとりあえず笑った。

 もうその時僕たちは3年生で、東京の大学に絞って受験していた僕と、関西の大学に合格していた君の未来は大方で決まっていたのかもしれない。交わることなんてないんだろうな。そもそも特別な関係ではなかったし。本当は、自分が逃げていただけかもしれないけど。

 とにかくバンプに励まされて、僕は東京の大学への進学が決まった。卒業式も終わって、後は出発の日を待つだけ。何することもなくて家で本読んでたら、急にメールが入った。

「何してんの?」

「家で本読んでるよ」

「明日、家出るんだよね。駅まで送ってよ」

「は?なんで?家族とかいいの?」

「いいじゃん。にけつで駅まで送ってよ。明日11時に迎えに来てねー」

「わかった。じゃあね」

 本を読み直しながら、全然中身は入ってこなかった。どういう意味なのか色々考えたけど、まあいいや。とにかく、明日の11時に待ち合わせ場所に行けばいいんだ。「にけつ」のことは考えないようにしてた。

 彼女の家は駅から少し遠い住宅地。少し早めに家を出た。立漕ぎで坂を昇っていく。

 11時10分前に着くと、彼女はボストンバッグ1つ持って立っていた。いつもと同じ笑顔で。

 「お待たせ。家族はいいの?てか荷物少なくない?」

 「どうせ会えるからいいよ。荷物はもう送っちゃったもん」

 「なんかお別れとかはいいの?」

 「いいよ。だってまた家族はまた会えるもん。ほら、電車間に合わないよ」

 「わかった。乗りなよ」

 ぎこちなかったかもしれないけど、言えた。さっき昇ってきた坂道を下ってく。

「ねえねえ、バンプ聴きたい」

「何?」

「車輪の唄。今にぴったりじゃん」

 確かにぴったりすぎてなんか笑えてきたけど、スピーカーにして流した。過ぎていく風景と流れていく藤くんの声が心地いい。別れだなんて全然思えなかった。初めてにしては出来過ぎだ。僕らにとっての、いつもの感じ。でも、坂を下り終えて駅が近づいてきたとき、不意に寂しくなった。これで終わりなのか。初めて実感が沸いた。いや、本当は分かってたけどそうじゃない振りしてたのかな。

 自転車を駅にとめた。君はいいよって言ったけど、ホームまで入場券買って見送りに行った。本当に唄の通りだ。

「ありがとう。最後ににけつできてよかったよ」

「頑張れよ」

 何も気の利いたことは言えない。でも、それでよかった。いつもと変わらない笑顔で手を振って別れた。

 家まで帰る道。全力で自転車を漕ぎながら、1人で車輪の唄を聴いていた。電車を追いかけることはしなかった。でも、1人でただ自転車を漕ぐ僕は世界中に1人だけみたいだった。

 社会人になった。藤くんは今でも唄を唄ってる。彼女は結婚して子どもが2人いるんだって。僕は?相変わらずバンプの唄を聴いている。そんな夜。社会人になって誰かと自転車に乗ることなんか無くなった。誰かの顔色を窺ってる日々。

 それでも、あの日に坂道を下ったことは忘れてない。風を切る感触も、荷台の重さも、黒いボストンバックも、流れる藤くんの声も。時々、今でも一人で聴いている。そうすると、僕はあの日に戻れる気がする。結局うやむやにした言葉だけど。それでも苦くて甘い自転車の思い出は、時々僕を高校生に立ち返らせる。

 

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