泣きたくなるほど嬉しい日々に

 誰かのことを何で忘れてしまうんだろう。文化祭終わりで哀しくなった後で感じた疑問。 
 
 オープニングは、5年前に企画して大盛り上がりだった。いつもは違う部活動が集まって練習して創り上げたステージ。コロナでしばらく何もできない時期が続いて、去年また復活して、今年は新しい曲をやってくれた。自分が始めたことは人が変わっても間違いなく残っていて、違う人たちに受け継がれていくことが素直に嬉しい。もう自分が関わっていないことが少し寂しいけど、基本的にはそんなもんなんです。

 たくさんの卒業生が来てくれた。一番上はもう28歳で、僕が働きだした年齢をとうに超えている。最初の卒業生も26歳。立派に社会人として働いているんだけど、でも、出会うと顔が生徒になる。何もかも変わってしまっているようで変わらないもののたくさんあることに気付いて、感動する。いつまで経っても生徒は生徒のままで、先生は先生のまま。だからこの仕事は素晴らしいんだと思う。

 そうやって教え子たちに会うと、一緒に働いていた仲間のことも思い出す。同期はもう誰もいない。一番適当に見えていた僕が何とか居場所をここに見出して足掻いていった軌跡の中に、たくさんの仲間がいた。文化祭では遅くまで残ってバンドの練習もしたし、初めての運営責任者も一緒になって考えた。そんな人達に恵まれて僕は大きくなったような気がする。

 ダメなもんはダメだと叱ってくれたり、味方してくれたり、意見が違っても分かろうとすることが仕事の本質だと思う。何でもういないのか。それぞれの生き方があったんだと思う。人生はタイミングと意志と不確定要素によって変わり続けていく。

 だから泣きたくなるほど嬉しい日々になった。

 

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