ライオンキングから学んだこと
ライオンキングが好きです。ディズニーは全般好きなんですが、ライオンキングはベスト3に入るくらい好きです(アリス・ライオンキング・アラジン)。
何が好きなのかというと、擬人化したキャラクターであっても一人の人格があって、苦悩や成長が描かれているという点です。このような物語は様々にあるし、ディズニーの中でもポピュラーな展開というか、まあベタなんですが、その中でも2つの対照的な考え方を示しつつ、アウフヘーベンによって前に進む主人公に魅力を感じます。
主人公であるシンバは、元々王の子どもという立場で生まれてきます。父であるムファサは、とても頼もしく偉大なる父親として描かれます。いわゆる「帝王学」を持っていると言えるでしょう。彼は弱肉強食や統治など、自身が知るあらゆることをシンバに伝えようとします。
一方シンバはいわゆる「やんちゃ坊主」で、自身の立場や父親からの小言を理解しつつも、「自分がやりたいこと」「楽しいこと」をついやってしまう。そのことで失敗しつつも、大きく成長していく片鱗を見せる。
しかし、シンバが成長してしまうその前に、叔父であるスカーの策略によって父を失い、国を追われてしまいます。自分を成長させてくれる大きな師匠を失ってしまう。挫折と混沌が彼を襲います。
逃げて逃げて、彼はティモンとプンヴァに出会います。彼らは「ハクナ・マタタ」を歌います。「どうにかなるさ、くよくよするな。」という意味です。この言葉はこれまで様々なものに縛られていたシンバにはなかった経験でした。「やろうとしても出来なかったこと」が出来る環境があることを初めて知ったのです。その言葉通りに彼は自由気ままに生きていき、月日は流れます。この数年間はシンバにとってはとても楽しいものであったでしょう。
そんな時、ナラがやってきてプライドランドの現状を伝えます。しかし、シンバは現実に向き合いことが出来ません。今の生活が心地よいからです。「ハクナ・マタタ」とは、意味だけを取れば責任を負わず自分だけいいというような意味にも取れる。悩むシンバの前に、ラフィキとムファサの霊が現れてシンバに告げます。
「思い出せ。お前は誰か。」
この言葉は、シンバが逃れられない運命にあることを思い出させます。「ハクナ・マタタ」とは逆で、「自らのやるべきこと」という命題に再び向き合うことを強いられるのです。これを受け入れるのは難しい。しかし、シンバは自分に出来る限りの事をしようと考えます。自分のため、そして誰かの為にです。気付いた誰かの存在。自分の好きなように生きてきたと思っていた横には二人の友人がいた。そして、自分を待ってくれる人もいた。自分には何が出来るか。
そして、彼は立ち上がるのです。この決意が大切。
全てが上手くいくことなんてありません。でも、様々な人たちが身の回りにいる。自分を頼ってくれる人がいる。それを知って、自分が出来ることを精一杯やろうとするのが大事。出来るか出来るかはわからないけど、それでもやろうとする。そうやって決意して初めて、自分の事が理解できる。ハッピーエンドかどうかは分からないけど、やる決意を以て物事に向かいたい。
シンバはどういう王になったのか。ムファサが居ないことによる苦悩は「ライオンキング2」で描かれる。1しか見たことない方、2も是非見て下さい。