初めてガンプラを組み立てた話
父はガノタだった。
おそらく私の最古の記憶は、ブラウン管の小さいテレビに映る機動戦士ガンダム。万年床の部屋で父と一緒に見ていた(家具の配置的に2歳頃の話らしい)。
場面などはとっくに忘れたが、再度視聴した時に「あ、あの時の」と思ったことは今でも覚えている。
もちろん家にはたくさんガンダムのグッズがあった。デアゴスティーニのファイルが地味に場所を取ってて邪魔に思うこともあった。
数あるグッズの中でも特に多かったのはやはりガンプラだ。マジで多すぎる。職場の倉庫はほとんど積みプラで埋まっていた。
当時の私はあらゆる物を分解しては組み立てるタイプのクソガキだったので、ガンプラに目を付けない訳がなかった。
「こんなにあるなら1つくらい作ってもいい?」
いいはずがない。
オタクになった今なら分かるが、実の娘であったとしても集めた大事なグッズをそう易々と譲れる訳がない。
しかし父は少し考えた後、1つの箱とニッパーを私に手渡した。
1/144 MSN-03 ヤクト・ドーガ
クエス・パラヤ専用機
いや誰?
初見の印象は最悪だった。
私はガンダムで好きなキャラを聞かれれば「シャア・アズナブル」と答えるようなミーハーだった(※シャア推しの人を貶める意図はない)。その上、逆シャアを観た覚えはあっても、アムロの巴投げとシャアがクエスと馬で走り去る場面位しか記憶になかった。
そんな私に対してヤクト・ドーガはあまりにも荷が重すぎる。
しかし所詮はガキ、「人生で初めてのプラモ」はあまりにも魅力的だった。父から受け取ると速攻で開封し、組み立てを進めた。
前述した通り、私は物を分解して組み立てることに執着するガキだったので本当に嬉しくてたまらなかった。
ガシャポンの簡単な凹凸を組み合わせるだけじゃない。
説明書を読みこんで、組み立てたいパーツを確認し、慎重にニッパーで切り落とす。その繰り返しだけで単純作業には変わりない。
それでも、何も知らなかった私には十分すぎる娯楽だった。
不慣れな作業は最初こそ時間を要したが、慣れていくうちに速度も上がっていった。
しかし初見の作業がそう簡単に終わるはずがない。
ガンプラやフィギュアの組み立ての経験がある人は想像しやすいと思うが、胴体の部品にはそれぞれ両側に突起が生えていた。肩関節にあたるそれに腕をはめ込むことで初めて人型になり、ヤクト・ドーガは完成する。
何を思ったか、私はそれを切り落としてしまった。
今考えても本当にバカだと思う。
その突起がランナーの切り忘れに見えたのだろうか、長時間の単純作業が堪えてしまったのか。いや、完成を急ぐあまり判断を誤ったのだろう。やってしまったと気がついた頃には手遅れだった。冷や汗が溢れ、自責の念に押し潰されそうだった。
何よりも、父に申し訳なかった。
溢れんばかりの積みプラでも、父にとっては大切なコレクションの1つだ。せっかく分けてくれたにも関わらず出来損ないの風貌にしてしまったことを悔やんだ。
どうにか接着を試みたものの、子供の浅知恵ではどうにもならない。腕無しのヤクト・ドーガはおもちゃ箱の奥底にしまい込まれ、二度と日の目を見ることはなかった。父は知ってか知らでか何も聞いてこなかった。
私はそれからずっと、ガンプラを組み立てていない。
おまけ
ガンダムで好きなシリーズとキャラ
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