スクリーンと映写機・その2

今、皆さんは映画館で映画を見ます。テレビでドラマを見ます。
皆さんはここに映っているものを見て、
悲しい・・・泣いてみたり
あ、おかしい・・・笑ってみたり
影に踊らされているんですよ。
これは影なんですよ。

本物ならば映写機の電源を切っても映っていますよ。
しかし映写機の電源を切れば、スクリーンに映っていた影は全部消えますよ。

これを拡大したのが皆さんの今生きているこの世といっている世界ですよ。
皆さんが大統領、総理大臣、オリンピック選手…何を演じていたって、この無常というこのスクリーンに映されている影に皆さん踊り踊らされているんですよ。

貧乏を演じている者。金持ちを演じている者。
大統領を演じている者。総理大臣を演じている者。
あるいは物乞いを演じている者。

このスクリーンを映し出している「命」というスイッチを切ってみてください。
この世の影は全部消えますよ。
この世は無常世界。真実ではないんです。
この世は影・まぼろし・幻影の世界。

本当の我である「生かしている我」と、ニセモノの我である「生かされている我」との見分けが皆さんにできたとき、
その影に踊らされる我(を通して)皆さんは顕現することができるんです。これを真我覚醒、真我顕現というんです。

スクリーンに映されている我を本当の「我」と錯覚しているうちは、常に常に無常な人生を演じ終えていかなければいけないですよ。

これを無知の人生、盲目の人生、迷いの人生というんです。

ここに咲き誇っている花々も見える、この会場も見える。
見えているというけど、観えていないんですよ。

それはスクリーンに映されている影を見て、
「いる」「ある」「私は見える」と錯覚していることであって、
本当の「観える」というのは、その影である背後に命という本質を観ていることなんですよ。

2021年6月29日 りんどうの会 光話『肉体存在の目的』より

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