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元気で楽しいから今


元気で楽しいから今死にた~い!(思想が怖いんだよ!!)

今ファンレター書いてるんだけどさ、手紙って難し~。文才ある人ってマジですげーわ。
ツイートやnoteなら、こうやってツラツラ書けるのにね。
でも手紙は読まれるからね。あんまりヘンテコ文だとアレですし。
てか渡したら、本人ちゃんと読んでくれるんですよ~嬉しいよね。
正味さ、好かれたいとか、こちらに興味を持ってほしいみたいなスタンスの文章なら、詰まらずに書けるのよ。気持ちのいい言葉を選べばよいだけなので。
でもそんな手紙はNONONO。

数か月までは結構ツラツラ書けたのにな。なんというか、時間が経つにつれ、彼に対する感情の層が増えてしまったようで、日本語の選択が難しくなっている。

「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる」
訳(引用)
[筑波のいただきから流れ落ちてくる男女川(みなのがわ)が、最初は細々とした流れから次第に水かさを増して深い淵となるように、恋心も次第につのって今では淵のように深くなっている。]

好きな和歌なんだけどさ、マジでキモイよね、この孤独な恋心。
重いよ!!!という。でもまさにこの状態になってんの。恋とは違いますけど。
もう淵なんすよ。


話戻す。
今ほんと楽しくてさ~。「ストレスのない生活」というのをアラサーにして初めて体験してて。
休み始めて最初のほうは、楽しまなきゃ!だとか、やりたいことを実行する!みたいな気合が強くて。ちゃんと自分のこと見えてなかったような気がする。
もうそのような肩の力は完全に抜けた。ふにゃふにゃ。
ナチュラルなポジティブさを持った、割と明るい自分に戻れてて、あー私ってこんなんだったわとなっている。

たまにSNSで見る、「逃げて無職になったことにより自分を取り戻した私」みたいなやつ。まさにそれ。


しかしそんなキラキラ無職生活にも、そろそろ終わりが見えてきて。
とはいってもまだ年末までは無職確定。
失保が貰える期間を延ばすために、8月から訓練校へ通うことになったのよ。

軽い気持ちで受講決めたんだけど、通うのしっかり週5なのよね。

土日休みならどうせ旅行も厳しいですし、それならちょっとバイトでも始めようかなと思って。
それで、先週バーで1日だけ働いたんだけどさ、客から「楽に生きれそうでいいよね」と言われて。まぁおっさんに言われるセリフあるあるではあるんだけど。

慣れてたはずなのに、なんか久々に言われたらダメージ受けてしまって。
しかし、そんなことを言ってくる人に、「苦労してきた」なんてアピールをするのは馬鹿らしいじゃないですか。

どうでもいい人に言われたことなんて気にしなくていいじゃんってのは、それはそう。
しかし実際問題、目を見てデカい声で言われた言葉を心に通さず聞き取るって無理よ。
私は未熟で弱いですから。

しかし正直、自分がヘラヘラニコニコヘコヘコしてるのが悪いのもある。ヘラヘラしながらギャグのように返してしまう、そんな変な瞬発力も嫌。ほんと自分のこういうところ、嫌いですね。


そして帰り道、思い出してしまった。ビル下の雑沓に揉まれながら。「あぁそうだ、働くってこんな感じだったわ」と。

完全に忘れてたよ。労働した分お金をもらうだなんて、そんな単純なものではなかったわ。
評価もなく、見返りも打算もない今のこの日々のなんと愛しいことよ。

思い出した以上、考え出してしまうこと。

この、気楽に生きている状態って、人生終えるタイミングとして理想だなということ。
また仕事を初めて、なんで生きてるのか分からなくなって、嗚咽しながら希死念慮と戦うなんて地獄じゃない?
それでまた仕事を辞めたとしても、自分を取り戻すまでに1年くらいはかかるんでしょうし。

怖いのが、楽しい人生だったなという満足感が、今とてもあるんですね。
「やり残したこといっぱいあるから死ねない!」の気持ちが無くなっちゃったんです。

ほんと、すごい楽しかったし頑張ってきてよかった。
多少の自己嫌悪は健在ですが、自分へのありがとうが止まらない。
だからマジで今死にたい。


病む度に、脳内で理想の走馬灯を再生→実行に移る具体的な想像。をしております。夜な夜な。
ビョーキ?
自分としては、これまで生きてきて、今が最も正常なつもりなのだけれども。

でも自分じゃ分かんないよね。異常な人は自分のことを異常だと思わないでしょうし。


脳内シュミレーションのお陰で流れはバッチリなんだが、残念ながらまだ死ねないのよね。
noteに書いたことあったかしら。忘れちゃったんだけど、母が生きてる限りは母が可哀想で死ねないので。
もう68歳になるよ母。見るたびにおばあちゃんになってゆくのが切ない。
もう身内一人自殺してるから、宝物の一人娘までってなると流石にね。
大変だったし殺したいと思った時期もあったけど。今でも性格は合わないけど。
愛情ですよね。こればかりはどうしようもない。

葬式はしてあげたいと思って死なずに頑張ってるんだけど、冷静に考えたら100歳まで生きたらあと32年は生きるんだよね。
私この調子で、赤いちゃんちゃんこ着る歳まで生きるの?キツー

最近はね、「死なない死なない死なない」と無理やり言い聞かせる方法で希死念慮を押さえつけています。パワー。
思考に溺れながら御託を並べるより、大事なのは強い意志。
お経を読むことに近い意味合いもあります。


あとは映画見に行く、歌う、踊る、推しの動画見る、とか。
鬱に入ってなければ、現実逃避の方法はいくらでもあるから助かる。

ただの誤魔化しでいいのよ。希死念慮の影さえ薄くなれば。

推しにはマジで助けられてる。講演行きたいから生きよ~と思う。
(私はコメンテーターしたり会社したり先生したりしてる謎の芸能人を推しています)
youtubeとかvoicyに話してる動画がたくさん上がってて、寝る前によく聴いてるんだけど、声聞いてるとほんとに落ち着くんですよね。
人の長い話を聞いてて心が落ち着くことなんて、今まで無かったから不思議。周波数が合うとか、そういうのもあるのかな。

さっきこの思いはもはや「淵」と言ったけれど、それに至るまで増した水が通ってきたのは、川ではなく水路。その水路を作ったのは、「推しの話」の数々。漂っていた私の涙がその水路に流れ着き、流れ流れ積もり積もり、時は過ぎ、、(いや気持ち悪いよ)

推し活って関係の構築が要らないのも魅力。
冷めてる訳じゃないよ。
たまたま芸能人に惚れて追ってたら、結果的にそういう心地よい状態になってしまったという話。
何も進展することなく、一方的に好きでいられることが可能。あと「私が死んだら彼は悲しむかな」とか考えなくていい。
現実的な話、たとえそうなったとしても、あちらに知る術はないのだし。

仲良い友達と遊ぶたびに思うもん、死ぬ前にこの子と関係切るのは辛いなぁとか。フェードアウトしたいけど、本当は好きなのにそんなの嫌だな~とか。

芸能人相手だと、どこまで行っても所詮ただのファン。
その「所詮」の心地よさ。

推し自身、ある番組で推し活が特集されたときに「推しとファンの関係なんて嘘っぱちだよ」と言ってたんだけど、ほんとにその通りだよ。そゆとこ好き。
私はその嘘っぱちの関係で心が満たされている、愚かな人間です。
誰かギュッとして抱きしめてよー!(シャボン玉)

話逸れた

てか、りゅうちぇるが自殺してからめちゃくちゃ引っ張られてるんですよ!!!
ちぇるみたいに最高の1日を過ごして次の日に実行するの、かなり理想。
本当はなりたかった姿になって(なれたのかは分からないけれど、変化はしたという意味で)死ぬのも理想。
最後までブチ暗い面を表には出さなかったのもかっこいい。
元々動画は見まくってたし、最近でも推しと共演してたりしてたから、変化も見てて。

歳も同じくらいだから、そういう面でも引っ張られる。


だから、最近白熱してるよ。自分への言い聞かせが。
楽しいことばっかりしてるしヘラヘラしてるから平気そうに見えると思う。自分でも平気だと錯覚することがある。

こういう話をすると大抵、「人は誰しも二面性がある。」というようなことで決着すると思うのだが、そういうんでもないんだよな。
てかむしろそういうのは無い方。不器用なので裏の顔とかはマジでない。
無理はしてないし、元々ポジティブなゲラだし。
それを保った上で、感情や体調のアレコレがこの世とマッチしてないから死にたい。
苦労したけどその分ここ一年で楽しみまくって、なんやかんやを十分取り返した。
もう人生十分楽しかった。満足。だから今のうちに。みたいな。

死にたい系の思い、人には言わないけど別に隠してるわけじゃないのよ。
そもそも死の話はセンシティブなものであるし、心配もされたくないし説教されるのも嫌。あと聞いてくれた相手が私に引っ張られる可能性も、なきにしも。ね。だからリアルで話題には出さないだけで。

死についての話、気楽にしたいねー。
そういう場があれば行きたいけど、自殺志願者を狙った犯罪者が紛れ込みそうで怖いんだよな。
殺されたくはない。
最後は美味しいものを食べて、未練なく孤独に逝きたい。

という訳で、(という訳で?)今日も元気いっぱい、「死なない!死なない死なない!」の強い気持ちを持ってご飯を食べる。
おれは死にません。


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