植戸万典です。恥の多い生涯を送って来ました。それは太宰だ。
教科書的なイメージからか、あるいは有名な文学賞に冠されているからか、高尚な文学者と思われがちな芥川龍之介です。
“高尚な文学者の高尚な文学作品”なので敬遠されがちでもありましょうが、実際に読むとその文豪的なイメージから想像されるような読みづらさより、娯楽性が印象に残ります。我が推し作家のひとりです。新規の供給はありませんが。
「地獄変」の続編的に新聞連載からスタートした「邪宗門」も未完のまま、100年前の11月に書籍として出版されました。
100年の結末お預けをくらっている読者としては、別の我が推し作家のひとりである某先生の「鵺の碑」を待つくらい、どうってことないというものです。
コラム「これは邪宗門のはなし」
『神社新報』掲載時の歴史的仮名遣ひは現代仮名遣いに直しています。
芥川作品を含めて近代文学の多くが戦後の出版の際にそうされていることにならったもの、というわけではありません。
「これは邪宗門のはなし」のオーディオコメンタリーめいたもの
おわかりのとおり、最後の部分は「それは羅生門のはなしでは?」ですね。
さて、「邪宗門」に出てくる「摩利の教」とはどんな宗教だったのか。コラム内でも書きましたが、もう少し詳しく考えてみたいと思います。
作中の描写を拾うと、「摩利の教」を布教する沙門には次のような特徴がありました。
見慣れない女菩薩(赤裸の幼子を抱いているらしい)の画像を旗竿に掲げている。
十文字の黄金の護符を頸にかけている。
水で頭を濡らす灌頂めいた儀式を経て入信させる。
これらから考えると、芥川自身は十中八九キリスト教として設定していたと見なして良いでしょう。
芥川龍之介は、「鼻」とか「芋粥」とかの王朝物作品が教科書などでも有名な一方で、「奉教人の死」とか「るしへる」といった切支丹物も手がけており、キリスト教への造詣はそれなりに深い人物です。
そうしたキリスト教設定で描かれたと思われる「摩利の教」は、さらにWikipediaでは「山田孝三郎の景教という説が有力」とされています。
「景教」とは唐の時代の中国に存在したキリスト教の一宗派のことですが、Wikipediaでは上記以上の詳細がわかりません。
どういったことなのか確認してみると、Wikipediaの記事は山田孝三郎編『芥川文学事典』を根拠としている模様です。
同事典は芥川作品の注釈集ですが、その106ページでは「摩利の教」を次のように解説しています。
こちらの国立国会図書館の資料は「個人向けデジタル化資料送信サービス」で閲覧できるものです。ぜひ利用登録を。
山田孝三郎はあくまでも推測として書いていますが、Wikipediaの記事はこの説を述べたものと見て間違いないでしょう。
たしかに設定の時代的にも、沙門が中国大陸で知った景教を日本に持ち込んだと考えれば辻褄が合うように思えます。
ただ、そこには疑問も残ります。
景教ことキリスト教ネストリウス派は、エフェソス公会議で異端とされて東方に広まった宗教です。
問題は、その異端とされた理由。ネストリウス派が異端扱いを受けることになったのは、聖母マリアは「神の母」ではなく「キリストの母」であるとする教理にありました。
この辺の教理の解説はややこしいので避けますが、そうした事情を持つネストリウス派が、その後のカトリックのように「神の母」マリアを崇敬したとはちょっと思えません。実際、景教芸術では普通のキリスト教芸術では聖母の描かれるところにもマリア像が見られないようです。
芥川「邪宗門」の描写を見ると、「摩利の教」を布教する沙門が幡に掲げる画像には明らかに聖母子像のマリアが描かれている(ことを作者は仄めかしている)ので、これを景教(=ネストリウス派)と考えるのは無理があるのではないかと、宗教史的には考えられるわけであります。
もちろん、芥川がどこまで考証していたのかはわかりませんけど。
#コラム #ライター #史学徒 #資源活用事業 #私の仕事 #芥川龍之介 #邪宗門 #宗教 #政教関係 #景教 #ネストリウス派