「こだまでしょうか」――資源活用事業#15
植戸万典(うえと かずのり)です。年の瀬も迫り、皆様は良いお年を迎えられそうでしょうか。
令和2年最後の更新は、令和2年1月20日付『神社新報』の「杜に想ふ」に掲載されました「こだまでしょうか」の再録です。
例によって原文は歴史的仮名遣ひですが、noteでは現代仮名遣いに改めています。
コラム「こだまでしょうか」
読者諸氏には新春を炬燵で穏やかに迎えられただろうか、それとも帰省ラッシュで新幹線の座席確保にも難儀されただろうか。
思いもそれぞれに松の内が明け、拙文が届く頃はすでに恒例の歌会始の儀もおこなわれていよう。旧年、御代替直前の歌会始は「光」がお題だった。これは今上陛下の御誕生の年と、そしてちょうど五十歳の節を算えられる年にも選ばれたものだった。戦後今のような歌会始となって以来、まったく同じお題はこの「光」だけ。戦前の勅題にも三度はない。
斯かる歌会始もしばしば引合いに論じたのが、元本紙論説委員の石田圭介氏だった。その氏は平成三年三月四日号の本紙「主張」欄で、立太子礼を迎えられた当時の東宮殿下につき、「平成日本の新しき希望と光明であられんことを切願する」と書いている。その願いも通じたか、昨秋、雲間より光の射すなか高御座に出御せられた陛下の龍顔は凜々しくあらせられ、それまでのお歩みが胸中に去来した。陛下はお生まれの砌より希望と光明の象徴であり続けられたのだと、四半世紀を経てあらためて感じ入った。
事程左様に旧年は、陛下が我々の光であることを実感する年だった。皇居前広場での国民祭典を御覧じられた陛下の感謝のおことばに接したときも、寧ろ勿体ないほどありがたいとお伝えしたい思いを懐き、そこでふと、金子みすゞのある詩文を想起した。
大正から昭和初期に活躍した童謡詩人の金子みすゞの作に、「こだまでしょうか」という一篇がある。“「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。”などの様子を、詩人は“こだまでしょうか”と問い、“いいえ、誰でも。”と結んだものだ。
陛下の感謝に国民も感謝で応えた。それは一部の徒だけの心情ではなく、“誰でも”だったはずだ。そこには、帝の詩作に臣下が応えて詩を詠んだ「君唱臣和」という秀麗な文化の精神も垣間見えた。
斯かる天皇と国民との関係のなかで、今や歌会始は当世において尊卑が交流叶う文化的な紐帯となっている。その令和最初のお題は「望」だった。来年のお題はこの原稿執筆の時点ではまだわからないが、未来の読者諸氏は御存じのことだろう。光、望、と続き、次のお題は何かと、期待に胸を膨らませているところだ。
俗諺に、歌は世につれ世は歌につれという。“希望”と“光明”の象徴であらせられる陛下の御世、これから陛下と我々はどのような歌を詠み、どのような世を作ってゆくものか。陛下の宣らせられたおことばは謝意だけではなかった。国民の幸福と国の発展、そして世界の平和を願われるというおおみことには、我々はどう呼応できるだろう。年初に際して今年の抱負とともに、この御代における抱負も考えたい。
(ライター・史学徒)
※『神社新報』(令和2年1月20日号)より
「こだまでしょうか」のオーディオコメンタリーめいたもの
「こだま」じゃありませんでしたね。
令和3年の歌会始のお題は「実」だそうです。
このコラムを書いていた頃は、令和2年がよもやこんな年になるとは想像もしていませんでした。
歌会始のお題は別に今年の漢字とかではないので世相を占うようなものでもないのですが、光、望と続いた次の明年が、皆様にとっても実りある年となることを期待してしまいます。
どなた様もどうぞご健勝で過ごされますように。
本年はこれにて。
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