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「春の福を待ち兼ねる」——資源活用事業#34

植戸万典うえとかずのりです。待ち兼ねた春と恨めしい花粉のジレンマを抱えた一人です。

花粉の時期の終わりが待ち遠しいですが、そのくらいの時期になるとそろそろ梅雨の終わりが待ち遠しくなり、またさらにその頃になると秋の涼風が待ち遠しくなるのだろうな、と半ば諦めています。
世の中、待っているだけではなかなかままならないものです。

コラム「春の福を待ち兼ねる」

 春節の中華街では龍が舞う。皇帝や駿馬の喩えにも使われて誰もが知るそうした「龍」とは、古代のワニだった。これは青木良輔著『ワニと龍』で有名になった説だ。もし本当なら、日本にも「龍」がいたことになる。
 「わに」は日本神話にもしばしば現れる。稲羽の素兎に騙されたり、山幸彦の海と陸の往還を助けたり、豊玉姫がその姿に変化して山幸彦との子を産んだりしている。爬虫類のワニは日本列島に棲息しないため、ここでの「わに」はサメのことだとよく説かれるが、それには古くから異論も多い。大陸や南洋のワニの情報が反映したものとも云われる。
 否、そもそも日本列島にもワニ類はいた。マチカネワニという、全長七メートル前後と推定される太古の巨大なワニだ。化石が発見された大阪の待兼山にちなんで命名された。世界的にも貴重な発見で、近縁種が中国にも分布していたことも近年の発掘調査によって明らかとされている。そして、そうしたワニこそ龍の正体だと青木氏は見ているようだ。
 『史記』に夏王朝の孔甲が龍を食べる話のあるように、古代中国で龍とは現実的な動物であり、それはマチカネワニの同属だったが寒冷化によって姿を消したことで伝説化して神獣となった、ということである。
 「わに」はワニで、龍はワニなら、神代の「わに」は龍だとみなせなかろうか。つまりワニの棲息した古代の日本には龍が存在したのだ、と。現に『日本書紀』は豊玉姫が化身したのは「龍」だと記述しているのだから、神武帝は「わに」の子孫であるとともに龍の子孫でもある。ちなみにマチカネワニは学名「トヨタマヒメイア・マチカネンシス」だ。
 もっとも、仮にそうだとしてもそれは今日我々が共通に理解する神格化した「龍」とは全く別物だろう。ワニは空なぞ飛ばないし、球を七つ集めても願いなぞ叶えてくれない。本邦の「龍」はワニとしてではなく、中国の神獣や仏教の龍王などとして伝わり、在来の大蛇と習合したものだ。さらに独自の信仰も形成し、由緒と縁深い社寺は今なお多い。
 ただし藤本頼生氏の論文によれば、戦前の神祇院は、社名や祭神名に仏語を使うものは不適当で是正すべきとしており、そこで例示されたものには龍蛇神や龍王も含まれていたそうだ。これは、社伝で龍神とされていても祭神名としては帝国の神祇に相応しい表現が求められたということだろう。確かに、彼の女神が祭神の神社でも「わに」を祀っているわけではないな。まぁ、それでも特別視してしまうのが日本人にとっての龍なのだが。
 マチカネワニの化石が出土して、ちょうど六十年となる。伝説上の龍へ繫がるロマンも祕めたそのワニは奇しくも本年と同じ甲辰に見つけられ、歴史的な意味も齎した。厳しい始まりとなった今年だが、その発見のようにフクキタルことを麗らかな春の訪れとともにマチカネるものである。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和6年2月12日号)より(但し、仮名は現代仮名遣いに改めた)

「春の福を待ち兼ねる」のオーディオコメンタリーめいたもの

能登半島地震を受けて差し替えた原稿「龍の年にあけまして」の前に辰年最初のコラムとして想定していたテーマを再利用しました。

読み返してみると、自分ですら「球を七つ集めても願いなぞ叶えてくれない。」とナチュラルに書いているあたりに『ドラゴンボール』の影響は大きいなとしみじみ感じ入ります。
鳥山明先生の作品で育った一人として、衷心より哀悼の意を表します。

ちなみに、文中の藤本頼生氏の論文とは、下記リンクの「神社管理における御祭神・社名の取り扱いについての一考察:近代以降の制度変遷と仏語を用いた神名・社名を中心に」(『國學院雑誌』第122巻第6号、2021年)のことです。御参考まで。
https://k-rain.repo.nii.ac.jp/record/656/files/kokugakuinzasshi_122_06_001.pdf

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植戸 万典
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