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「度々足袋で旅をした」――資源活用事業#27

植戸万典うえとかずのりです。適当を愛する者です。

令和4年も年の瀬。
今年も記名無記名問わずいろいろな文章を書いてきましたし、それは昨年もそうであったように、来年も同様でしょう。

人生はよく旅に例えられますが、それなら来たる令和5年はどんな旅路にしましょうか。
まあ、来年のことは鬼が笑うと言いますし、新年の目標を春までに覚えているような人こそ稀少で、結局はなるようにしかならないのですけど。

コラム「度々足袋で旅をした」

 旅をするなら足袋を履きなさい、とは誰の言葉だったか。もちろん誰でもない。さっき適当に考えたものだからだ。そんなふうに、旅には緻密な旅程以上にその時々の適当さが肝要だと個人的には思っている。
 旅先の夕餉、ふらりと立ち寄った居酒屋で飲んだ地酒を気に入り、帰り路の列車を待つ間に駅近くの店でその酒を買い求めるというその場限りの適当さも旅行の醍醐味だろう。先日から始まった全国旅行支援のおかげで、最近もそうした偶然の出会いに恵まれた。
 この秋、長野県の遠山郷を訪ねた。信州の奥座敷と称されているらしく、まあ祕境だ。彼の地ではこれから霜月祭りの季節を迎え、各神社で湯立神楽が舞われるのであろう。
 遠山には、諏訪方面から遠州秋葉山へ続く秋葉街道が通る。面白いことに、秋葉街道を歩くと「秋葉山大権現」に「金毘羅大権現」を併記した石碑や灯籠が多く見られる。江戸後期の『東海道名所図会』にも、秋葉街道を行く参詣者の笈に両神名を並べて書き入れたと思しいものが描かれているから、江戸時代には秋葉山に詣でて金毘羅までを旅する人が間々いたのだろう。道の様子を知るだけならグーグルストリートビューでも事足りるが、旅をして初めてわかることもある。
 基本的には出不精だが、空の青い日にふと遠出がしたくなる。不要不急の外出だ。その不要不急の貴さはこの三年弱で身に沁みた。山粧う峡谷を通るローカル線に揺られたり、トンネルを抜けた先に煌めく海を眺めたり、旅路のなかのそうした体験に飢えていたことをあらためて感じる。海外にも行きたいが、それはさすがにぶらり途中下車でというわけにはいかない。だから疫禍の直前に更新したパスポートの査証ページはまだ真っ白だ。
 これまでは神社関係者として旅することもあった。世間的にそれは出張と呼ばれるが、仕事といえども旅は旅。現地の文化を訪ね、現地の食を知り、現地の神社仏閣教会その他を取材するのは楽しいものだ。ときに奇妙な旅になることもあり、ある年にはロンドンの日本国大使館で伊勢うどんを振る舞い、またある年は一夏のうちに北は択捉島、南は尖閣諸島というセンシティヴな土地を制覇した。それはどんな出張だと問われると説明に困るけれど、文化交流とか慰霊とか、いずれ神社関係者としての仕事だったことに相違ない。
 日米開戦の端緒である真珠湾攻撃からもう八十年が過ぎ、今年もその日が近い。出張の旅では、神社関係者としてその日に白衣白袴でハワイの戦跡や慰霊施設を巡ることも度々あった。裸足にサンダルで常夏の島を楽しむ観光客を横目になぜ己は足袋に雪駄なのかと虚しくならなかったと云えば噓だ。もっともそれも含めて旅の体験なのだろう。
 旅のエッセイだとここで人生を旅に喩えて締め括るのが定石だが、そんなものはとくにない。そういう適当さこそが自分にとっての良い旅だからだ。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和4年11月28日号)より

歴史的仮名遣ひに手が慣れると現代仮名遣いのテキストでもうっかり「いふ」とか「ゐる」とか書いてしまいます。
つまりこのコラムも、元の掲載紙で歴かなだったものを現かなにわざわざ直していて、我ながら面倒くさいことしているなと思っているものです。

「度々足袋で旅をした」のオーディオコメンタリーめいたもの

遠山郷紀行でも書こうかと思いましたが、時期を逸してしまったのでお蔵入りにしました。
来年なにか機会があればいずれ書くかもしれませんし、やっぱり書かないかもしれません。どちらにせよ単なる紀行文にはならないでしょうが。

ゆく年くる年、みなさまには良い週末を。

#コラム #ライター #史学徒 #資源活用事業 #私の仕事 #旅 #足袋 #ダジャレ


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植戸 万典
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