植戸万典です。常識だと思っていたものほど不確かだったものはない、というのが今の世界に対する現代人の実感なのではないでしょうか。
そんな大層な話題でなくても。
世の中には自身の狭い見識を全世界の常識のように押し付けてくる人がいてうんざりすることも多いですが、偉そうな肩書きの大人も実際はおおむね単なる小市民なので、全部を真に受けることはありません。という考えもあることを、新社会人の皆さまには頭の片隅にでも置いておいてほしいなという気持ちで、春先に『神社新報』へも拙稿を寄せました。
これもひとつの押し付けなのですがね。
コラム「べし」
なお本紙では歴史的仮名遣ひでした。
そして漢文の返り点もちゃんと紙面には反映されていました。
「べし」のオーディオコメンタリーめいたもの
愛知県の関谷醸造さんが醸す銘酒「蓬莱泉」シリーズの主力商品「可。」からインスピレーションをいただいたコラムです。
良い酒蔵なので、この場でも推しておきます。
三大神勅とか五大神勅とか、最近はそこそこ人口に膾炙しているように思うのですが、じゃあそれって昔から言われていたことなのかとなると、今の形でほぼ定着するのはどうも平成に入ってからなのではないのかなぁと思われます。
ある意味、ひじょうに社会思想的な流れのなかで現在の認識に統合されていった模様です。
そもそも「三大〇〇」って、そのほとんどは基本的に言ったもん勝ちみたいなものなので。
「三大」みたいに収まりのいい数として纏めると一見わかりやすくはあるけれど、逆に個々の内容がおざなりになってしまう側面もあります。「三」という数に収めるために無理していたりすることも。
賤ヶ岳の七本槍も9人いるし龍造寺四天王も5人いるのだから、世の多くの「三大」系もそれくらいの認識で良いのかもしれません。
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